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Sandwiches (Season 1)

50
毎日連載雑記シリーズ(#1~50収録)
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2020年4月の記事一覧

バタをひとさじ、玉子はうんと(おしらせをそえて)【Sandwiches #22】

 タイトルは石井好子さんの著書をもじりました。わたしmaco marets、この連載を「Sandwiches」と名付けたり、そういえばアイコンやトップ画像も目玉焼きだったり(これらは拙作『KINŌ』のジャケットが由来です)、それからご存知の方もいらっしゃいましょうか、「Hum!」という楽曲のミュージック・ビデオではひたすらサンドイッチをつくる工程を映してみたり……ことはといえば、食べ物たべものしたイメージをおのれにたぐりよせてきた。  といっても残念ながら料理が得意かという

よみがえるレディ・マドンナ【Sandwiches #21】

 この「Sandwiches」をかきはじめて最初のころに、隣人がちょぴりとうるさいっちゅうお話をしました。その後、状況がかわったかといえばまったくそんなことはなく、むしろうるさいスカル・モンキーズは勢力を増大しておっていやのはや、神経質なわたしとしてはきりきりした毎日なのです。  新たな刺客のひとりは上階の住人で、そりゃもう荒っぽく歩くもんやから、どすどすどすどす、足音がひっきりなしに響いてくるし、いきなりギターをかき鳴らしたりするし、むきゃああ! 天井をにらみつけようとも

ふたつのわっかの重力と【Sandwiches #20】

 鏡をのぞきこめば、なんだか顔がむくんでおる。自宅ですごす日々のなか、だんだんと気になってきたんはおのれの健康状態であります。それといった不調もないが、メイビイ、はつらつとはすこし離れたモードやて……。ぐずぐず、もっとも原因はあきらかだもんで、どう考えても日光浴と運動の不足に違いないのです。そもそもあまり体を動かすたちではないからして、家で過ごすようになれば必然的にもう牛、牛、牛の様相よう。ぼんやりごろり、そりゃムーミンのごとき輪郭も、青白さも獲得できるわけだった。  そん

春の気分はだれのもの【Sandwiches #19】

 四月も気づけば最終週、まだすこしひんやりした風はふくけれど、ルームシューズを履く足がめっぽう汗ばんで陽気なことです。部屋のなかにいるばかりではどうにもうつろう季節に鈍ウくなってしまいますが、しかして着実に、春もその色を変えているようやった。すこしずつうれいとうるおいを帯びる季節であります。  このnoteの文章を綴るベッドの上、ひとつの詩がぼうとあたまに浮かびました。  春の朝    すずめがなくな、  いいひよりだな、  うっとり、うっとり  ねむいな。  上のまぶ

視写しなん者、鼻もげら【Sandwiches #18】

 いつかのInstagramにちょいとあげたのやけど、もっか『将太の寿司』ばかりが並ぶマイ・デジタル・ライブラリです。お寿司っておもしろいんやなあ。いつか回らないお店にも行ってみたいやなあ……。  そんでとろとろと電子書籍ストアを徘徊しておるうちに、あの「青空文庫」から有志が電子化した作品を無料でダウンロードできると知りました。著作権の失効した、芥川龍之介やら、太宰治やら、翻訳ものならボードレール、カフカなど、国語便覧をひらけば必ず説明書きがあるような、名の知れたラインナッ

焼かれる空白【Sandwiches #17】

 まっさらなノートをたっぷりかかえながら、それを満たすことばはとーんともたぬ週末です。曜日感覚などとうにうすらいできたけれど、それでも「週末」との意識が残っているのは金曜日が燃えないゴミの日であるからで、しかして土曜日の朝のうふふな感覚はどこかへ行ってもうた? のっぺりと伸ばされた時間の感覚は冷えてこごった油のようやし、どうにも気持ちのわるさがぬぐえません。そういえば、今朝は顔を洗ったかしら。あやや……。  その空白に耐えきれずか、なんなのか、わたし生まれてはじめてタブレッ

よく注意してください【Sandwiches #16】

 土産物屋といえば、派手なキーホルダや、置物や、あるいは現地のお菓子なんかが山積みになっておるのが常ですが、わたしがついつい手にとってしまうのはきまってノート・ブックなのでした。モンブランの試し書き用に、手ごろな紙はないかと部屋じゅうひっかきまわしたところ……ばさりばさりと出てくるわ、形も材質も、その出身地もさまざまなノートたち。どれもがただの一文字も筆記されることなくうつくしいブランクを保っておって、おお、へたっぴな万年筆の練習台に汚すのはもったいなく思えます。  とくに

おどろきもものきモンブラン【Sandwiches #15】

 部屋にいる時間が増えますと、これまですっかり風景と化していた家の中のものものと目があうようになります。みなさんも経験ございませんか。わたしの場合は、さんざ話題にした書棚の積本どもはもちろんのこと、たとえば鏡のうしろに陣取っているチンパンジーのぬいぐるみだったり、あるいはペン立ての影にかくれていた三面怪人・ダダのソフビだったり、へたしい「生き物」のかたちをとった有象無象がわんさかおるもんで、みょうな視線が四方八方とびかう始末です。  そんななか、ふと強烈な霊力を従えて視界に

せめてきれいな包装を【Sandwiches #14】

 ふだん、Rapの歌詞を書くときはさまざまな揚力を得てなんとかことばを飛翔させておる、と昨日はそんなお話をしました。補足して申し上げたいのは、そのちょっとした魔法のような力も含めてこそ、わたし自身がRapという表現様式に惹かれた理由を語ることができるということです。  七リーグブーツを履かせたことばでひょいッ、と遠い先までジャンプする。そりゃなんとエキサイティングなことか! かれこれ10年近いあいだこそこそと歌詞を綴り続けてきたのもこの興奮のためだと、そう言い切ってやっても

七リーグブーツをはいて【Sandwiches #13】

 うたわれることばのある種の無責任さについて、これまた無責任に書き散らしたまま終えた昨日のつづきであります。バックトラックの力を借りたとき、ことばのもつイメージがどびゅーんと大ジャンプするのだ! とそこまでお話ししました。ここで、Rapperとしてのわたしのことばはその作用にもたれっぱなしであると告解したい。  おそらく、maco maretsの楽曲を聴いたことのある方ならわかっていただけるのではと思います。多くの楽曲において、その歌詞は直裁な物言いをさけているばかりか、イ

もしもわたしがピッチャーならば【Sandwiches #12】

 またあたらしい週がはじまります。いまだ空白ばかりのカレンダー、それを見つめながらぽかんと机にすわる朝のわたしです。おおげさかとお思いでしょうが、ふわついた毎日のなかでこのnoteの更新だけがいかりをおろすような、ほんのわずかな感触を与えてくれておる。しっかり早起きもできているし、書くことであたまもすっきりした状態で一日をはじめられるし、そのあたり、よいことずくめなのでした。すてきやん。  んでもなお同時に、ていねいにことばをつづることの難しさを痛ゥ感しています。日記なんか

謎床からムーミンへ【Sandwiches #11】

 どうどうめぐりの書棚片付け篇、前回をうけて引けず退けずのつづきであります。ざっとおさらいしますと、片付かぬ書棚を前にして「本を減らす&サイズとテーマにあわせて整頓する」のがミッション。そのうえで、いかに本を減らすか、そしてどう並べなおすかという問題に向き合っておりました。  いかに本を減らすかについては幾度も書いて(同時に書きあぐねて)きたので、いまだ明確な答えは出ぬ、まま、なれど横に置いてしまいましょう。わたしはいまのところ、ときめきの尺度に身をまかせる心算です。すべて

手のひら返しのさきに【Sandwiches #10】

 ぼたぼた雨降る土曜日です、いっこう進まぬ書棚片付け大作戦・part 3のはじまりでござい。前回は中身より入れ物への愛着を語るにオチると、あいや、意味が違いますがまあそんな感じでありました。じっさい、マイ・ライブラリをみつめなおしてみればそのカオティックなmoodにびっくりするのですがみなさま、ぜひ一度じぶんの書棚(ほんとうは本棚と言いたいけれど、引っ込みがつかなくなったのでこのままいかせてね)を確認されたい。  どげなもんでしょう。なんらかのルールめいたものによってぱきん

にじませ感慨照射角【Sandwiches #9】

 なかなか片付かぬ書棚を前にするとひさしぶりに手に取る本などもたくさんあって、そのときどきに抱えたmoodでもって選んだのよなあ、と前回も申しました通りの感慨が、豆電球のごとくぽつ、ぽつ点滅するようであります。そのラインナップは一見ばらばらのようでいて、わたしだけに見えるグラデーション模様を描いていたりもしてまことキメラチック、でもたしかに己自身をうつしたような、息づかいを持ったゴーレム的なにかなのですね。それらとは神経までつながっていて……。  適当なことをつづるばかりで