あと数ヶ月で57歳になる。 残念ながら老後必要だと言われた2.000万円の貯蓄は無い。生きている間ずっと泳ぎ続けるしかないのだ。マグロみたいに。 自営業なので元気でさえいればまだ仕事は続けられる。若い子たちと一緒にいる時間が長くて気持ちだけは若い。 バレエ教室なので、3・4歳くらいから長ければ10年以上の年月を共に過ごしている子たちがたくさんいる。結婚して生まれた子供をまた通わせてくれたり。 それぞれの人生の中でバレエに夢中になった期間があって、そこに関われたことが幸
バレリーナを育てている。 育ってきたバレリーナと育て中のバレリーナたちと、お手伝いして頂くプロのダンサーやプロのスタッフの皆さんたちとで舞台を創りお客様に観てもらう。 それが私の仕事。 私の元には プロのダンサーとしてヨーロッパで踊っている子 バレエ団で踊った後独立してバレエ教室を開いた子 衣裳の勉強をしに渡仏し衣裳デザイナーになった子 アメリカの大学で学んだことを後輩たちに還元してくれる子 留学して技術を磨き今も私の創る舞台で踊ってくれる子たち 大学を出て
数年間家で介護していた母が亡くなって起きたちょっと不思議な出来事。 自宅で介護していた母が心不全を起こし救急車で運ばれて、3ヵ月ほど病院で過ごした後、施設に入り2ヵ月と少しで亡くなった。 3年前の話し。 長年過ごした福岡を離れ、私の住む神奈川にやって来た当初は都会に住めて楽しそうだった。私の仕事や孫娘の成長を見ながらアクティブに過ごしたのは3〜4年だっただろうか。 元々いくつも病気を抱えていてだんだんと身体の自由が効かなくなり、親戚や長年一緒に働いていた同僚の方たちと
小さい頃からバレエを習わせて貰った。 裕福な家ではなかったのに。 小学校高学年・中学・高校とバレエに夢中になり九州と東京を往復して指導者になるための勉強もした。そして20歳過ぎて上京。 親は「好きな事をやって良いよ、でも援助は出来ない」と。 いくつものアルバイトをしてレッスンを受ける日々、自分と同じようにバレエをするために上京してきた友達たちと過ごす日々は楽しかった。そして気付き始めた。自分には才能とお金が無いってことに。 バレエの道に進もうと思っている友達はだいた
勇気を出して初note。 思いもよらぬコロナ禍に、25年間続けてきた仕事を今後も続けてゆけるのか、引き続きこれで生計を立ててゆけるのか不安で仕方がない。 コロナ以前の日々もいつもどこかしら不安だったけど… これまでも個人的にはいくつかの危機的状況を乗り越えてきたので、この全世界的な困難をもきっとどうにかこうにか乗り切ってみせる… と思う。思いたい。いや思うことにした。 人生後半戦の生き様を(大袈裟な!)記録していこうと思う。このnoteに。 ハードル上げたな。笑