見出し画像

音楽について書こう 〜Maison book girl〜 (その4)


ブログなのに1年以上の空白とは!ひさびさに書きました。


ぼくとブクガの1,628日。

2021.5.30をもってMaison book girlは削除された。

削除されてから、もう一年近くなる。思い出や気持ちは色褪せないつもりだけど、人間なんで悲しいかな徐々に忘れていく。

コンセプトがあって、それを演じてきた。演じきって無くなってしまった。

いまだに消えぬこの空虚感。もうMaison book girlはいないのだ。


グループとしてけじめをつけたのかもしれない。でも演じているのは生身の人間だ。どんなにきれいでカッコよくても感情は動くし、痛むし、傷もつく。理論として、頭では納得できても感情が、心がついて行かない。ずっと燻ったままだ。

だからといってはっきりした答えを出して、すっきりしたいというわけでもない。このモヤモヤを含めてそれがMaison book girlなのだ。

前にもブログで書いたが、変調、変拍子というのが自分自身の奥深いところに引っかかる。その引っかかっている違和感が癖になるのかもしれない。いずれにせよ、聴きたくなり、聴かずにいられなくなる。

彼女たちは作品として最高のパフォーマンスを魅せてくれた。特にsolitude hotelと銘打たれたワンマンライブは、その世界観、楽曲、演出とともに心に刻まれた。

でも失ったという気持ちは辛く悲しい。やはり心がついて行かないのだ。でも少し気持ちの整理がついたので、文章として残しておきたいと思いました。

その心境の少しの変化というのは彼女たちがそれぞれのスタートを切ったところに起因する。四人のうち三人は再びステージに立つことを選んだ。残りの一人はMaison book girl以外では表舞台に立てないということを選んだ。それぞれ彼女たちの性格を考えると納得がいくし、実際にブログで気持ちを伝えてくれたので、感謝でしかない。

そして表舞台に立つことを選んだ三人、それぞれのステージを観ることができた。

感情が溢れ出す。

よく泣くとスッキリする、と言うが本当にそれかもしれない。でも彼女たちが再びステージに立つ姿を観たときに、心の中の何かしらが溢れ出て流れていって、合点がいったのかもしれないなと思う。

失った苦しみ自体は変わらないかもしれない。でも前に進む力をもらったと思う。


ただ失った苦しみよりも、出会えた価値の方が遥かに勝る。苦しいなら知らなければ良かったなんて、決して思えない。彼女たちが活動していた時間を共にできた歓びの大きさは悲しみを凌ぐのだ。だから感謝でしかない。

たぶんこれからもMaison book girlは自分の気持ちの中ではずっと続いてゆく。いや!続けてゆくのだ。

単なるアイドルグループでは片付けられない、これからの人生の中でもMaison book girlの音楽は生き続ける。彼女たちが魅せてくれた舞台は心に刻まれた宝物となって生きているのだ。


ありがとうございます。だからこれからもよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?