見出し画像

マッドマックス・コンベンション主催反省記 -その1-

イントロダクション

 2019年に開催された映画『マッドマックス』シリーズのファンイベント“マッドマックス・コンベンション2019”。本書はその準備から開催、後片付けまでを、主催だった私なりに回想し、主にそこにおける反省を綴ったものです。

2019年11月開催、MMcon2019、新富士会場にて(ふじさんメッセ)


 海外から俳優たちを日本に招いてサイン会などを行う映画系イベント。果たしてそれはどのような形で行われているのか? 特に私のような零細個人事業主にしか見えない者が、どうやってそれを行っているのか? 実際にイベントに参加された上で、不思議に思っている方も多いのではないでしょうか。
 ゲストとの交渉に始まり、資金・会場・スタッフの確保、段取りの設計etc…。本書ではそういったイベントを組み立てていく過程と、実際の着地点の一例を、可能な範囲で具体的に記していきたいと思います。また『マッドマックス』にそれほど興味がない、予備知識がない方が読んでも、理解できるように心がけています。
 そして、この2019年のイベントで、主催である私がやらかしてしまった数々の失敗を総括する事が、本書最大のテーマです。これからもしこういったイベントを開催したいと考えている方々がいるなら、反面教師としてなんらか役立ててもらえるのではないかとも思います。

※このnoteは2021年に同人誌として出版したものに、若干編集を加えて再掲したものです。
当方のサイトで冊子本体の販売も行っています。


 2019年に開催された“マッドマックス・コンベンション2019”(以下MMcon2019)は、自分主催イベント「MMcon」としては5回目のものでした。
 2014年の開始時は小さいファンミーティング規模のものでしたが、翌2015年はシリーズ最新作『怒りのデス・ロード』公開直前の開催で、幸い、ワーナーブラザーズのプロモーションと少々コラボする形となりました。2016年は筑波サーキットでの走行イベント、2017年は山梨のホールを借りての車両展示&サイン会と、規模はじわじわと大きくなっていきました。

初めて開催されたMMcon2014。来日ゲストは4名。
MMcon2015。新宿ピカデリーでジョージ・ミラー監督とMMconのゲストたちが対面する、ワーナーとの共同企画
筑波サーキットの小コースを借りての走行イベントも実施したMMcon2016
『マッドマックス2』の主要キャスト3名を招いてのMMcon2017


 2018年は休止し、『マッドマックス』製作40周年のメモリアルイヤーである2019年に、クラウドファンディングと協賛を募って運転資金を集め、過去最大規模で賑々しく4日間ものプログラムをこなすMMcon 2019を開催する運びとなりました。
 4日間に集まったマッドマックス・ファンはのべ900人程。それほど巨大なイベントではありませんが、1シリーズの映画作品のファンが集まったものとしては、熱量の高い結果を生んだと自負できます。
 しかし一方で、自分にとっては、過去4回行ったMMconでの自身の失敗や判断ミスの数々を、大きなスケールで繰り返したところがありました。楽しいイベントであったことは間違いありませんが、未だにあの時の事を振り返ると、自責の念から思わず叫び声をあげてしまいたくなります。また、大げさな表現ではなく、人生史上最もハードな日々でした。
 そのMMcon2019が終了した二週間後に、これまた私の方で『ゾンビ』(ジョージ・A・ロメロ監督 1978年製作)出演者のファンイベント「ゾンフェスVol.1」というものを主催させてもらう機会に恵まれました。MMconと同様に海外ゲストを交えてのサイン&トークイベントです。経緯は後述しますが、この「ゾンフェスVol.1」はある程度、自分が望むコンベンション運営の形に近づく事ができた、という手応えがありました。気が滅入るような反面教師エピソードばかりではなく、もちろんそういった良かった面についても触れます。

MMcon2019の二週間後に開催された「ゾンフェスVol.1」


 これを書いている2021年の夏は、まだ新型コロナウイルスのため、映画イベントの開催もままならない世の中です。しかしこのコロナ禍が終わったら、また様々なイベントが動き始めるでしょう。まずは本書が、これから俳優や有名人を招いてファンイベントを始めてみたいと思っている人の手に届く事を願っています。私の失敗談は、何らかお役に立つと思いますし。また、そういう事に関係なく、読み物として少しでも楽しめる部分がありましたら幸いです。
 私自身もこうやって己の所業を総括した上で、次に進みたいと考えます。
 最後まで何卒お付き合いください。

準備編

①資金ゼロからのスタート

●オーストラリアへの渡航資金

 MMcon2019年には7人ものゲストがオーストラリアから来日してくれました。では、そのゲストに対して、私はどのように交渉を進めていったのか?
 まず今回のイベントのメインゲスト、ヒュー・キース・バーン。彼の参加が今回の肝です。有り難い事に、ヒューに日本行きを勧めてくれていた『マッドマックス』での共演者ポール・ジョン・ストーン(※1)だけでなく、ヒューと家族同然の付き合いをしているマッドマックス研究家のティム・リッジ(※2)も協力してくれました。そして私は2019年1月末にオーストラリアへ通訳スタッフと共に渡り、シドニー郊外にあるヒューの自宅にうかがい、直接彼に交渉する機会を得ました。

※1 ポール・ジョン・ストーン。『マッドマックス』でギャングのメンバー、カンダリーニを演じた。その後はナレーションや声優として活躍。当時のキャストたちとコネクションを持ち、日本ファンとの架け橋となってくれた。2023年2月にガンにより逝去。
※2 ファン、コレクターが高じて『マッドマックス』1作目のドキュメント映画を作る事になった研究家ティム・リッジ。これがきっかけで、彼はジョージ・ミラー監督たちと面識を得た後に、『怒りのデス・ロード』のスタッフとなった。ヒューとはそれ以前から文字通り家族のような付き合いをしていた。


 こう書くと、通訳スタッフを雇い、オーストラリアまで交渉に行くようなイベント予算があったのか?と思われるかも知れませんが、もちろん私は借金持ちですし、そんな費用をぽんと捻出できる訳がありません。
 2019年の2月初頭にオーストラリア現地で『マッドマックス』40周年イベントが大々的に開催される事となりました。イベントにはヒュー・キース・バーンはじめ、多くのキャスト、シリーズ関係者がそこに参加すると2018年にアナウンスされました。私は一ファンとして、そのイベントへの参加を考えていましたが、せっかくなので『マッドマックス』ロケ地探訪の旅をセットで企画し、一緒に現地に行く日本のファンを募集しました。結果、予想を超える20名近い参加メンバーが集まる事になります。

オーストラリア、メルボルンでのロケ地探訪企画


 ちなみにこの企画、私は旅行業者の資格を持っていませんので、「ツアー」という形でイベントを仕切り、利益を得る事はできません。あくまで参加者は現地集合・現地解散。宿泊費は個別で支払っていただき、移動費は現地で割り勘。私は旅券や宿泊先の提案、現地での移動方法の確保、ロケ地巡りのルート選定と段取りを行ないます。そして旅のパンフレットを買っていただくという形で、参加メンバーから少々手数料をいただくスタイルです。
 結果、この企画があったからこそ、MMconに何年も関わっている意思疎通の取れた通訳スタッフを連れて、ヒューとの交渉に赴く予算が取れた訳です。ですので、2019年のこの旅のメンバーのおかげでMMcon2019が開催できたと言えます。今あらためて感謝です。
 またロケ地巡りの多く場面で協力してくれたのは、いつもお世話になっているデイル・ベンチ(※3)とポールでした。そもそもこのお二人がいたからこそ、2014年を皮切りにMMconが開催できた訳で、とにかく感謝しっぱなしです。

※3 MMcon開始のそもそものきっかけを作ったデイル・ベンチ。現地でも日本から来たファンのロケ地巡りをサポートしてくれた。


●ヒュー・キース・バーンとの対面

 遂にヒューとの対面です。そもそも先方に日本から通訳を連れて交渉に来た、という姿勢を見せる事が一番重要だったと思います。まだギャランティの提示などあやふやな事だらけでしたが、おおよそのイベント概要をヒューに説明しました。彼は非常に乗り気ではあったのですが、もちろん、すぐその場で結論が出るようなものではありません。こちらももっと詰めたイベント内容、契約条件を提示する必要がありました。しかし、こうしてヒューとの会合を行えたことで、一歩、MMcon2019開催に向けてフェイズは進んだのでした。

ご自宅でのヒュー・キース・バーン。カメラを前に不機嫌を装ったお茶目な一枚。


 この交渉にはじまり、オーストラリアでのイベント参加、日本ファンたちとロケ地巡りと、長期間のオーストラリア旅に付き合ってくれたのは通訳のAさん。彼女はMMcon2015からスタッフとして我々を助けてくれており、他の映画コンベンションも豊富に経験している、MMconにおいては超重要人物です。2015年、たまたま飲み会の席で同席したことから、スタッフになってもらう流れが生まれました。この偶然がなければ今頃、MMcon自体どうなっていたのか、想像ができません。人との出会いはまさに宝です。
 通訳・バイリンガルスタッフの重要性については、後に一章設けます。また、いちいち記述はしませんが、ここから以後MMcon2019の話が進んでいく過程には、ほとんどの場面にAさんはじめ、通訳スタッフの仕事が絡んでいると思っていただいて間違いはありません。ちなみに、私自身は英語はまったく話せません。

●ジョン・アイルズとの交渉

 MMcon2019、二人目のゲスト候補。マッドマックス界隈の表舞台にほとんど出てきた事がない人物、ジョン・アイルズ。『怒りのデス・ロード』で印象的な兵士の役を演じ、作品のミリタリー・アドバイザーでもあった彼に目を付けていたのは、2019年当時、世界で私一人くらいだったと思います。
 これは『怒りのデス・ロード』の熱烈な若いファン層には響く人選でしょうし、海外の大作映画でミリタリーアドバイザーをやっている方の話を、トークやワークショップとしてイベントに盛り込むのは面白いのではないかと考えていました。
 先のマッドマックス研究家ティム・リッジはヒューに続いて、二つ返事でジョンにも繋いでくれました。私はスカイプを使い、リモートでジョンと面談。彼は映画の仕事だけでなく、現役で軍のトレーナーもやっていて、多忙そうではあるのですが、日本でのファンイベントへの参加という予期せぬオファーを嫌がりもせず、むしろ面白がって、前向きに検討してくれる事となりました。

『怒りのデス・ロード』でフュリオサの部下エースを印象的に演じたジョン・アイルズ。元々ミリタリー・アドバイザーとして作品に雇われたが、ミラー監督の提案でキャラクターを演じる事になった。「スーサイド・スクワッド」「ハクソー・リッジ」「パシフィック・リム アップライジング」等にミリタリー・アドバイザーとして参加

●ヒューマンガス様との交渉

 3人目のゲスト候補。『マッドマックス2』に登場する悪の頭目、ヒューマンガス。それを演じたシェル・ニルソン。私は、海外コンベンションで彼と面識がありました。『マッドマックス2』のキャストだけを招いたMMcon2017の時は、もちろん彼を日本に招待したのですが、残念なことに同じ日、ドイツのコンベンションとバッティングしており、彼の来日は実現しませんでした。


2016年暮、NYのコンベンションでのシェル・ニルソン


 ヒューマンガスはキャラクターとして大人気。シェルの来日はファンの世代を越えて、喜ばれるだろうという自信がありました。そして今回こそはと、オファーを出したのです。彼との連絡手段はFacebookのメッセンジャー。文章によるやり取りは、英語が話せない私でもある程度自分一人で行う事ができます。
 主にはGoogle翻訳(近年はDeepL翻訳も)を使い、言葉を極力簡単に削ぎ落とし、慎重に訳せば、ほぼこちらの意図を伝える事ができます。先方も「こいつは翻訳ソフト経由でしかコミュニケーションが取れない」と理解すると、それなりに簡単なセンテンスで返事を返してくれるケースが多いです。
 シェルの場合は、スウェーデン出身という事もあるのか、独特なしゃべり、文章のため、通訳スタッフの力を借りないと、機会翻訳では真逆の意味の訳が表示されたり、ちょっと油断ならないところがありましたが。
 ともあれ、シェルも今回かなり乗り気です。彼は近年、様々な映画コンベンションに参加していました。そういうゲストの場合は、金銭に始まり、色々な事を明確にした契約条件を提示する事が、まず交渉の第一歩となります。

●スティーヴ・ビズレイ再び

 こうして、ヒュー、ジョン、シェルがまず候補者となりました。しかし2019年は『マッドマックス』の40周年記念の年です。やはり1作目のゲストに来てもらう事も大切です。
 2016年に来日し、非常に慌ただしいスケジュールの中、筑波サーキットでファンとの走行会までやってくれたグース役のスティーヴ・ビズレイ。そして彼が来てくれるならば、これまでMMconを支えてくれたデイルとポールにも来てもらおうと、3人にオファーを出し、了解を得る事ができました。
 こうして6名のゲストを日本に招き、MMcon2019を開催するというラフ案ができたのです。

MMcon 2016時のスティーヴ・ビズレイ

 しかし6名の外国人ゲストを招くというのは容易な事ではありません。2015年のコンベンション時もゲストは6名でしたが、それはそれはもう大変な事になりました。しかしあれから経験も積んでいるし、まあなんとかなるだろうと私は無意識に思っていたのかもしれません。しかし実際はMMcon2019においては、2015どころじゃない、想像を超えるハードな状況に見舞われる事になります。これについては後述します。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?