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Over the Rainbow

先日、子どもと2人でスシローで食事をしていた時のこと。
わたしのお友達の範疇にはない、そして息子の友達のママでもない感じの年齢の、若い女性から声を掛けられた。

「すみません、◯◯くんですよね?」
んーと…どなたでしたっけ?
一瞬そんな顔をしてしまったらしいわたしに説明するかのように彼女は続けた。
「保育園で担任だった◯◯です、覚えてますか?」

あぁ!!
もちろん覚えているとも!!
気付かなかったのは、メガネをかけていなかったから。
前髪が伸びていたから。
そして、わたしの記憶にある彼女よりもずっと疲れているように見えたから。
当時よりも苦労しているのかも知れないと思えるような表情だったから。

子どもがコロナ禍の真っ最中で保育園に入園して。
更に追い討ちをかけるようにイヤイヤ期で。
今思うとわたしも少し心が病んでたのかも知れない時期だったような気がする。
多くの子どもがだいたい通る道であるイヤイヤ期ですらもわたしのせいだと思っていたし、割と本気で、起こる嫌なことが全部わたしが悪い、わたしのせいだと思っていた。

アホか、わたし。
んなわけあるか。
今のわたしだったらアホくさと笑えるんだけど、趣味自分責めだったからね。
仕方ないよね。

そんな荒んだ心のわたしを保育園の先生方はいつもニコニコと「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と迎えてくれて、心が和んだもんだ。
担任の先生との連絡帳のやり取りもプチ交換日記みたいで楽しかったな。

で、ウチの子の保育園の法人は複数の園を経営していて、今回、声を掛けてくれた担任の先生が1年で異動してしまったのだ。

当時のわたしは心の拠り所をひとつ失ってしまったみたいな気持ちになって、「先生、ありがとう!寂しいよ!」という手紙を子どもは無関係にわたしが書いて渡したんだけど、その先生は「あの時もらったお手紙、まだ持ってますー」と涙ながらに言ってくれて。

彼女の涙は止まらず「◯◯くんのママがいつも優しくしてくれてたのが本当に嬉しくて…前も皮膚科で見かけたんですけど、ちょっと声掛けられなくて…でも今日話せて嬉しいです」と。

ザックリとしか話せなかったし、多分よその園とは言え、系列園に通っている親にはあれやこれやと全部をぶちまけて喋るわけにはいかないだろう。
でも彼女の表情から、そしてジワリと溢れた涙を見て、今、大変なんだろうなということが分かった。
「無理したらダメよ」「なんかあったらいつでも連絡して来ていいからね」と、ついつい親戚のおばちゃん感を出すわたし。
ホントにおばちゃんだから仕方ない。
若い子の未来が心配だし。

でも、わたしと息子に会えたことを、そして息子の成長を本当に喜んでくれていたことを感じることが出来た。

何より当時の病みかけていたわたしがした小さいことが今の誰かの心を支えていたり、今のわたしに会ったり話して元気になってくれる人がいるということにわたしの心も動いた。
すごく嬉しかった。
わたしは小学生の頃の夢が「人々の笑顔の素になりたい」だったから、叶ったのだ。

もしかしたら今の彼女は当時のわたしなのかも知れない。
当時のわたしよりはずっと若いけどさ。
もしかしたら何もかもが上手く行かない、上手く行かないのは自分のせいだ。と思っているかも知れない。
でも、自分を責める必要なんてない。
自分と仲直りなんて大きなことはしなくていい。
今疲れている自分を少しだけ許してあげればいい。
それだけだ。

わたしと話して元気になれるようだったいつでも連絡して来たらいい。
誰でもだ。全員だ。
弱音を吐くなら、さぁ聞いてやる。とB'zの稲葉さんも言っている。

そんなことを思う初夏の夜。
今日は夕方に虹が出たよ。


※写真はCanva様のフリー素材よ(小声)

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