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思春期の生理のはなし #第3夜

初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。

耳年増と呼ばれるにはあまりにも早熟な幼少期を経て、お勉強だけは人並み以上に出来ていた思春期のわたしには悩みがありました。

第二次性徴。

小学校高学年から体育の授業では男女別の時間があり、女子は生理の日の過ごし方や生理用品の使い方、トイレの使い方を学びます。
だからわたし自身も心構えはしていたし、なによりお勉強だけは北関東の田舎町のなかではべらぼうに出来ていたほうのわたしでしたので、なんというか、我先に、の気持ちをとても強く持ち合わせていました。

ただひとつ、
まわりの子より成長が遅い身体には抗えませんでした。
身長はいつも前から数えたほうが早いし、
だいたい2番か3番目。体重も軽かった。
重いのはアタマと大人を見下す目線だけ。
可愛げのない思春期の幕開けでした。

待てど暮らせど初潮はきません。

小学5年生の宿泊学習の夜、
地味で控えめだけどカラダの成長は誰の目にも目覚ましいクラスの女の子が生理中だからとみんなと同じ入浴時間に大浴場に入らず、
クラスの子たちと「〇〇ちゃんはやいねー!」と噂話をしていた冬からいくつかの季節が巡り、
小学6年生の修学旅行ではクラスの4分の1くらい、
中学に上がると、肌感としてはそれこそクラスのほとんどの女子にもれなく初潮は訪れ、
わたしはというと、
待てど暮らせどその影すら見えず、
もしかしてわたしって女性として欠陥なのかなと思い悩み始めていました。

そう言われると、
髪型はベリーショート、
男子以上に給食を食べ←
幼少期から毎日牛乳をそれこそ1日1リットルの勢いで飲み続けてもまだ身長は150cmに満たない。
お世辞にもオンナらしい体型とは呼べず、
もしかして一生生理が来ないのではないかと人知れず不安に襲われていました。

両親は、というと、
「お母さんは5年生で来たけどねえ」と何の罪の意識もなくふわりと娘にプレッシャーともいえる言葉をかけるくらいで、
個人差だからと特にそれ以上の心配もせず、
わたしよりもさらにスレンダーで華奢な妹もすぐ2歳下にいたので、深く考える余力もなくいたのかもしれません。
#今となってはこの妹は身長170cmオーバーの不思議w


そして、月日は経ち中学2年の秋、
わたしにも初潮が来ました。
朝、起きて、なんだか違和感を感じて、
トイレの備品棚から、母が使っている生理用品を下着に装着し、備えて学校に行きました。

その夜、パートから帰ってきた母に
「生理きたよ」とめちゃくちゃクールに伝えて、
「あら!お赤飯炊かなくっちゃ!」と声を弾ませた母を制し、「そういうの大丈夫だから」とそっといつもと同じ食卓へと誘う可愛げのない長女の姿がそこにありました。

すでに誕生日を過ぎていたのもあり、
14歳でようやく女性としての土台が整う兆しを得たわたしは、14歳って言うとすごく成長が遅いのでは、という謎の世間体を気にして、
中学2年で初潮がきたと公表するようになりました。公表する場所もないのだけれど。

カラダがオンナになるのとは別のベクトルでココロはすでにずっとオンナで、それこそ男子の右手をそういう意味で不浄の手だと思って蔑視したりしていた、なんともアイロニカルなわたしもいたけれど、それはまた別のお話。


つづく


#オンナであるということ
#第3夜
#初潮
#生理ちゃん

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