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3か月間の料理修行を終えて。理にかなった動き

2月に3か月間の料理修行をスタートし、
今日、4月29日に、3か月としては区切りの最終勤務日を終えた。

始まりの日のブログはこちら

まずは、手のビフォーアフター

(ビフォー)

(アフター)

ちょっと分かりにくいかもしれないが、
・手傷がいくつかある(血豆や切り傷)
・右の手の人差し指、中指が太くなった(手の皮も硬くなった)

思えば「あちっ」といいながら、熱いものを触った時も沢山あったし、
家庭ではなかったのに、職人の道具やスピードに慣れずに
良く手を切っていた。

思えば、僕が学んでいたのは、
「理にかなった動き」のように思う。

非常に面白いのだが、
料理には、先人が探求し、残していってくれた理屈がある。

切る時の姿勢、塩分の調整、焼き方、煮方、揚げ方、盛り付け方

そのすべてに、
人の身体の理にかなったもの
季節の理にかなったもの
食材という命の理に適ったもの
お客様への心遣いとして理にかなったものがある。

例えば、ほんとにさりげない事だが、
右ききの人が食べやすいように、箸のおき方を工夫する等。

そしてこれらの理は、
知らないと気づけないし、価値が分からない。

そして、その価値が作れるようになるためには、
「分かるだけではなく、できるようにならなければいけない」

分かるとできるは違う

この言葉の重みを体験した3か月だった

板前一年目が練習する”桂向き”というものも、
理屈は分かっても、なかなか意識に身体がついてこなくて、できない。

一番しんどかったのは、
包丁すらもうまく研ぐことができなくて、
自分の薄刃包丁の先がのこぎりみたいにギザギザになってしまった時には
「こんなこともできないのか。。。」と落胆したのを覚えている。

他にも、自分の身体の動きが遅すぎて、
手が回らくなり、雑で遅い仕事になってしまったり、、

プロジェクトやビジネスといった頭を使う仕事では
なかなか体験しない出来事だった。

スポーツなどの部活に近い感覚で、
非常に苦しいなと感じる瞬間も多々あった。

しかし、この経験があったからこそ、
少しではあるが、理にかなった動きができるようになった。

いつの間にか、
・ふわっとしたキャベツの千切りができるようになっていた時
・大将の動きを先読みして、必要なものをさっと出せたとき
の嬉しさといったら。

これらを一つ一つ積み重ねていく事が
力をつけていくという事だ。

成長するという感覚って、
踊り場に居るときは、苦しい苦しいという感覚で、
いつの間にか次の段に上がっていた時に、自分成長してたんだなと
気づくのだなぁと。

理を知り、それに伴った身体の動きができるようになる。
身体を使った職人仕事の醍醐味を感じました。

一方で、こういったいい仕事の価値に気づけない人が増えているのも真実。
現に、色んな飲食店を大将に連れて行ってもらったが、ミーハーな顧客が増え、丁寧でいい仕事が支持されなくなって、一般受けする料理へとシフトしているようだ。

いいものの価値が分からなくなって、
薄っぺらい形のものが残るのは、誇りや文化を忘れる事だと思う。
自分はめんどくさいと感じながらも、その誇りへと繋がり、
守っていきたい。

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