物書きの音。vol.11「やじろべえの港」

物書きの音。
2019年の年末頃に書いたものです。
Googleドキュメントに眠っていたものを、投稿してみます。


「やじろべえの港」

「何を今さら。」

ふとでた言葉におどろいた。

これはだれに向けた言葉か。
自分に?あの人に?それとも、世の中に?

街中では、今年の漢字が話題になっている。
「あなたの一年を漢字であらわすと?」
「あなたの今年の漢字は何ですか?」

何度聞いただろう。
何度尋ねただろう。
今日も仕事だ。
街に出て、取材をしてこなければ。

昨日出会った人は、「揺」だと言っていた。
とても揺れた一年だったと。
とても揺さぶられた一年だったと。

その人は多くは語らなかったけれど、印象に残ったのは、そのはつらつとした笑顔と、言葉の裏側にあるであろうその人の一年の揺れが、表裏ではなく、それぞれに自立しているように、見えたからかもしれない。

乗り越えた、というより、共に生きられるようになった感じ、とその人は言った。
何を今さら、ということも、たくさんあるのだけど、とも。

振り子はたくさん揺れたあと、最後は真ん中に戻るのだと、いつか勉強した気がする。

揺れる、か。

どれだけ揺れても、また元に戻るのか。
正しいけれど、何か違う気がする。
あの人が語った言葉とは。

ずっと引っ掛かったまま、でも、仕事は続く。

数日経ったある日。
ふと思った。

たくさん揺れたからこそ、一番しっくりくるところに立てるのかもしれない。
どれだけ大きく揺れることができたか、揺さぶられたかが、その人をつくるのかもしれない、と。

取材をしていると、いろんなひとと会う。
喜怒哀楽、悲喜こもごも、いろんなことを、聞く。

みんな、揺れている。
みんな、揺さぶられている。

そこに私は何を届けたのだろう。
私は何をしてきたんだろう。

ただ揺れを増幅させてきただけではないか。

「何を今さら。」

ははっ、と乾いた笑いがこぼれる。

たまたま揺れの場面に出会う。
たまたまそばにいる。

でも出会う。確実に。何かの縁で。

少し立ち止まるポイントくらいなら、なれるだろうか。
少し寄り添うような、そんなことはできるだろうか。
給水ポイントのような、あ、港のような。

いくら揺れてもいい。
でもたまには、休憩したり、落ち着くことも必要だと思う。
また大きく揺れるために。

偶然の出会いを、そんな風に港のようにできたなら。

私にもできるだろうか。

そんな未来への期待と不安に、私も今、大きく揺れている。

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