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「朼下」の謎に迫る



はじめに:「朼下」の発見

 突然だが、札幌市内の路上でこんな蓋を見かけたことがないだろうか。

〔写真1:様々な「朼下」蓋〕以下写真はすべて筆者撮影

 鉄蓋やコンクリート蓋、また表記も「朼下」「ト朼下」と違いがあるが、いずれにも共通している「」の文字。これに違和感がないだろうか。

 これらは札幌市下水道の汚水桝の蓋である。一般的なマンホールの蓋(直径60cm)よりもやや小さいく、人は入れない。札幌市下水道の蓋であることを示すなら、普通はこう記すだろう。「札下」と。

 しかし、よく見てほしい。札幌の「札」ではない。「」なのだ。木偏にヒとかいて「」。札幌は「朼幌」ではない。この木ヒの「」は何なのだ。そもそもこんな漢字が、本当にあるのか。

1.「朼」字の捜索

〔図1 Unicodeで規定されている「朼」〕Unihan Database より引用

 あった。

 ちなみにUnihan Databaseによれば、読みは日本語では「ヒ」、中国語(北京官話)では「bǐ」だそうだ。文字そのものについては、「百科諸氏中國哲學書電子化計劃」というサイトでかなり詳細に確認できるが、康煕字典や説文解字にも出ているれっきとした漢字であることがわかる。意味は祭祀の際に牲を載せる台か何か、だと思われる(多分)。現代日本での一般的な使用例は恐らく無いんじゃないかと思うけれど、少なくとも文字としては存在することは確かだ。また現代の中国語圏では、札幌と表記する際に「朼」を使うこともあるらしい。

 OK。文字として存在することは認めよう。だが、なぜ「札下」ではなく「朼下」なのか。その答えを持っているのは、蓋の設置者に違いない。

2.札幌市の仕様

 こういうときは根本的な資料にあたるのが一番だ。この場合は、公表されている蓋の仕様書だろう。というわけで、一例として「札幌市下水道設計標準図(その3)」の「10.枡類標準図」にある「特殊汚水桝設置図(PDF)」を見てみる。

〔図2:札幌市 特殊汚水桝設置図より蓋表面に関わる部分を抜粋〕

 図2の通りである。積極的に、仕様として「朼」の文字を採用しているとしか思えない。なぜだ。

 ……と考えても埒が明かないので、勇気を出して札幌市役所に問い合わせてみた。その回答は以下の通り。

札幌市の公共汚水桝の刻印「札下」に使用している「朼」の文字は、旧漢字(由来は中国新字体)をデザイン化した意匠文字となっております。※大正時代の資料等を見ますと「札幌市」の「札」が旧漢字になっているものがあります。

札幌市役所の担当課の方からいただいたご回答。

 突然の質問に、とても丁寧にご回答いただいた。ありがとうございます。しかし、「旧漢字(由来は中国新字体)をデザイン化した意匠文字」というのがよくわからない。回答者の方には申し訳ないが、そもそも「朼」は旧漢字(その定義は今は措く)ではないし、中国新字体というのは所謂簡体字という意味かと推察するがそうとも思えない。
 重ねて典拠を問い合わせると、「朼」の用例として「新らしい札幌市の地圖」というものをご紹介いただいた。幸いにも日文研所蔵地図データベースで画像が公開されていた。その部分拡大が下の図3。

〔図3:「新らしい札幌市の地圖」昭和6年発行、国際日本文化研究センター所蔵〕
トリミング・加筆は筆者による。画像下部のURLは現在は無効。

赤丸で囲った部分が「朼」だということらしい……が、これは、隷書体の字形としての筆押さえではないだろうか? 確かに堂々とした一画のように描かれているが、私はこれはあくまでも筆押さえ、すなわち装飾であり、文字としての一画ではないと考える。

 ここで札幌市役所からいただいた回答に戻ると、「意匠文字」という言葉に気がつく。おそらく、意匠文字というのはデザインした字形を指していて、この場合は筆押さえの部分を一画として「札」に追加したのだと解釈できる。ただ、追加した場所が、図3では乚の書き出し部分に付いているのに対して、図2の蓋ではヒのように位置が下がってしまい、また実際に中国に「朼」という文字があることに気がついてしまったためにこれを「由来」として根拠付けに採用した――これが木ヒの「朼」の真相ではないか

 整理すると、以下のようになります。

  • 写真1の各蓋に使われている「朼」は「意匠文字」である

  • この文字は「旧漢字」を「デザイン化」した

  • また、その「旧漢字」は中国の漢字を「由来」とする

  • しかし「旧漢字」とされている字形は、実際には元々の「札」の文字の筆押さえの部分を一画と誤解したものである

  • 仮に筆押さえを一画と考えると、中国の漢字「朼」が(少々字形は違うものの、おおむね)該当するとみなされ、文字の根拠とされた

  • すなわち、「札」の「旧漢字」(とみなされたもの、実態は筆抑え)をアレンジして、写真1の各蓋に使われている「朼」の文字が「デザイン」された

 繰り返しになるが、札幌市下水道の蓋に使われている「朼」は「意匠文字」であり、デザインされたものである。従って、実際の文字と違っていてもそれが意図されたものであり、つまりこれはこれでよい、ということになる。それに異を唱えるつもりはない。ただ、下の写真2のように、「札下」表記も併用されているのを見つけてしまうと、やはり個人的には違和感が否めなかった。これが図3のような筆押さえとして表現されていれば、まだ納得できるのだが……。

〔写真2:「札下」表記の札幌市下水道汚水桝蓋〕

 そして、「旧漢字」という点については、せっかくいただいた回答に対して申し訳ないのだが、やはりどうしても首肯しがたい。札幌市下水道の蓋における「朼」は、あくまで「札」の「筆抑え」をデザイン化した「意匠文字」であり、意味することころはやはり「札」なのだと理解したい。

3.筆抑えを含む「札」の字形の例

 ところで、図3に示した「札」の筆抑えを含む図形は、実際に古来から昭和戦前期まで使用されていた。

〔図4:筆抑え付き「札」の事例1〕

 図4の左側は、『札幌市鳥瞰図』(吉田初三郎作、昭和11年)の部分拡大で、図全体は図3と同じく日文研で公開されている。また図4の右側は京大の拓本文字データベースに収録されている『唐尹尊師碑』(開元5(西暦717)年)に見られる「札」だが、ここにも筆押さえが見られ、唐代の金石文でも筆押さえが表現されていたことがか確認できる。

 しかし、「朼」は思っていた以上に、札幌市内では「札」に通用する字として使われていたのだった。

4.「朼」の広がり:筆抑えを超えて

〔図5:筆抑え付き「札」の事例2〕

 図5上は『貨物掛必携』(昭和14年)、下は『北海道案内』(昭和13年)の、いずれも表紙部分を拡大したもの。ほぼ手書きの(ただし表紙に書かれるためレタリング的な意識が含まれる)文字であるが、これらに描かれている「札」は、もはや「筆抑え」ではない。特に上はあきらかに「朼」である。一つの筆画として「ヒ」が書かれている。

 また、いま適当な画像を示せないが(後日掲載予定)、札幌市の古い公文書に綴られたガリ版刷りの文書や、一般書籍の広告文中でも「朼」を使った例が見いだせる。流石に地の文に出てくることは漢検の限り見当たらないが、公文書なら見出しなど、広告なら住所として「朼幌市~」という形で、使用例を見出すことができる。
 どうやら、少しおしゃれに・格好つけて「札幌」という地名を書き記したい場合に、「朼」を使う文化が、少なくとも戦前まではあったらしいことがわかってきた。
 今後の課題としては、事例の蓄積と、使用例の下限・上限の確認があげられる。

おわりに:「朼」字とは何だったのか

 近年の漢字研究の第一人者といってもよいであろう、早稲田大学の笹原先生の著書に『方言漢字』(角川ソフィア文庫、2020年)がある。その中で、冒頭写真1に挙げた、汚水桝蓋に記された「朼」字に対する言及がある。少し長くなるが引用する。

札幌では、凍てつくマンホールで「札」の字の旁が「ヒ」のように記されているものが目立つ。以前から目には入っていた。書道で言う補空では、と重いもした。(中略)結論として「札」の異体字と見てよいようだ。それは北大の学生食堂で売っていた土産物の包み紙にもヒントが隠れていた。その隷書風書体では、旁の最初の部分が筆の入りのようにも見える。それが楷書化されるときに字画として独立したものだろう。

笹原宏之 2002 『方言漢字』 角川ソフィア文庫:p.86

 笹原先生の見立てでは、「朼」は「札」の異体字だという。「隷書風書体」というのは、図3や図4左も同様である。笹原説に依るならば、「朼」は札幌市内でのみ通じる「方言漢字」としての「札」の異体字、という理解ができるだろう。したがって「朼下」とは、札幌市内でのみ通じる方言漢字「朼」を使った「札下」の表現だといえる。

 「朼下」の謎が概ね解明できたいま、最後に残った謎は、写真2に挙げた、正しく(?)「札下」と書かれた鉄蓋である。文字としては正しいのだが、本来の仕様書からは逸脱している。また「札」の文字としてみても、偏と旁のバランスが若干あやうい。なぜ「正しい字形の表記」がなされてしまったのか、そもそも本当に「札」の字として作ったのか、という「正しいことを疑問視する問」が生まれてしまった。いったい正しさとは何なのか。

 これだから路上観察はやめられないのだ。

(本記事は、2011年に前身「街を読む」及び個人ブログに掲載した記事を大幅に改稿したものです)

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