踏みつける
久保田ひかる
Ⅰ.日常
部屋の内にあって住人の特徴を示すものと言えば、汚れたキャンバスが置かれているくらい。その他には中型の薄いテレビやシングルサイズのベッドなど、一般的な家具が並んでいる。落ち着いた色彩でまとめられた小さな部屋。
男はその部屋で目を覚ます。今が朝の6時14分だということは体感で理解している。するりと身体を起こすと、ベッドサイドのテーブルに置いてある目覚まし時計に手を伸ばす。アイボリーの少しざらついた質感。スクエアのデジタル時計の表面を撫でて、スイッチを切る。チラとみると[06:14]が[06:15]に切り替わった。男はいつもの朝にほっと息を洩らす。
キッチンでグラス一杯の水を飲む。それから、酢と水を1:4の割合で混ぜたものを作って、これも飲み干す。
リビングルームの床、毛足の長いブラウンのラグに直立する。深呼吸を2、3度してから、膝に手をあて屈伸運動を始める。膝の関節が滑らかに溶けていくイメージ。膝の裏の筋が柔らかくしなるように。これは十回。終わったら一度直立の姿勢に戻って、伸脚運動へと移る。
左足を身体の横へ真っ直ぐ伸ばし、右膝を曲げるのに合わせて左膝に掌で体重をかける。足の筋がぐいと伸ばされて、ゴムのようにしなって戻ってくるように。これは、右足にも同じ事をする。左右五回ずつ押し伸ばすことを2セット。再びの直立姿勢。単純な伸脚運動でも、少し心拍が上がり、足先に血が廻って温もってくる事を感じる。
今度はアキレス健を伸ばす。伸脚同様左足から始める。右膝を突き出し、左足をぐいと後ろに伸ばして、下方向へ体重をかける。筋という筋が悲鳴を上げだしたところで数秒の停止。これも、右足にも同じ事をする。左右五回ずつ押し伸ばすこと2セット。
ぴたりと直立に戻って、長く細い息を吐く。それから大きく深呼吸を二回。後ろを振り返って時計を見る。いつも通りに[06:25]を示すデジタル表示を一瞥してから、男はストレッチを次の行程へと進めた。
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『行街』バックナンバー
行街で発表された小説です。
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