Lyu:Lyuと僕と音楽の心的ノスタルジア


人生を変えてしまう出会い、というのは誰にでもあると思う。
それは人間かもしれないし、小説とか漫画作品かもしれないし、もしかしたらたった一つの音楽かもしれない。

これは僕の、その後の人生を大きく狂わせたとあるバンドの話。


フリーランスで作曲家やってたりバンドやってたり、Vtuberさん達と色々やってるマッチと申します。記念すべき(?)初投稿。
気が向いたら今後もちょくちょく長ったらしい自分語りを投稿していこうと思います。どうぞよしなに。

先月までは本当に怒涛だった。
小宵さんと浮遊信号とM3で5曲入りEP「憂舟線」をリリースしたり、「アガルタ・マカブラ」が佳境を迎えていたり、バンドでミニアルバムを出したり、その中で頂いた依頼をこなしたりしていた。

我ながらどういうスケジュールで動いていたのか謎だ。
何か一つでも間違ってたら全てが崩壊していた可能性すらある。
頑張ったなぼく。


今回は先月で携わっていたこれらのプロジェクトがひと段落し半ば抜け殻になっていた僕が、とあるバンドの新譜を聴いて昔日のあれこれを思い出した話を書こうと思う。良ければ最後までお付き合い下さい。


先日、僕が昔から信仰(あえてこの表現を用いる)しているバンド、CIVILIANが新しいアルバム「灯命」をリリースした。
https://youtu.be/ZMeGVtsCAKg

このアルバムについては語るのも野暮なので是非聴いてみてほしい。
本当に素晴らしい作品だと思う。


このCIVILIANというバンド、以前はLyu:Lyuという名前で活動していた。
Vo&Gtのコヤマヒデカズさんは"ナノウ"名義でボカロPとしても活動していて、数々のヒット作を生み出している。
「文学少年の憂鬱」や「3331」、「ハロ/ハワユ」あたりは聴いたことあるという方も多いのではないだろうか。


このバンドの存在を知ったのは高校2年生の頃。
当時の好きなバンドはELLEGARDENやアジカン、ストレイテナーあたりだった気がする。
我ながら典型的なロキノンキッズだな。今でも大好きだけど。

あの頃の僕は至って単純だったので、自分がかっこいいと思う音楽をやっている人の聴いている音楽を片っ端から聴き漁っていたものだった。
聴けば聴くほど世の中にはかっこいい音楽が数え切れないほど溢れていて、文字通り毎日が輝いていた。なんて幸せな時間だったんだろう。



そんな中、当時崇拝していた軽音楽部の先輩(今でもたまにお世話になっている人だ)がTwitterでとあるバンドを絶賛していたのが気になって、YoutubeにMVを観に行ったのが最初だったように思う。

Lyu:Lyuという一風変わった名前のそのバンドに、後の人生を大きく狂わされる事になるとは当時の僕は想像もしていなかっただろう。

オタク各位にはお分かり頂けると思うのだが、「好き」のカテゴライズ自体がそもそも違うというヤツだ。
好きな作品は数あれど、その中でも枠が違う「特別な作品」がきっとこの記事を見て下さっている皆様にもあるんじゃないかと思う。これはまさにその類いだ。

その時、一番最初に聴いたのはこの曲だった。


安直な表現だが
これが音楽か、と思った。
まさに雷に打たれたような衝撃だった。

当時の僕にとってはあまりにも歪んでいない乾いたギター、これまで聴いてきたバンドより遥かに薄っぺらいスリーピースサウンド、歌うというより叫んでいるボーカル。

その全てがあまりにもかっこよかった。

何より衝撃だったのはその歌詞。

それまでの僕にとって歌詞とは「音を彩る一要素」でしかなく、聴いていたのは「耳に聴こえるサウンドとしての曲」がメインだった。
ボーカルはバンドの中における一つの楽器で、歌詞はあくまでその付加要素でしかなかった。

それがどうだろうか。
歌い手の感情が剥き出しで、それ故に訴えかけてくる重みが違うその歌詞。
こんな音楽は聴いたことがなかった。


歌ってここまでエゴイスティックで良いんだ、と思った。
自分のためだけに歌うウタがあっても良いんだ、と打ちひしがれた。

「彗星」という曲がある。


これはその歌詞の一節だ。

ああ 私が悪くないのならば
誰の所為にすりゃいいんですか
生きてるだけで迷惑だと 知らない 知らない
分かりたくもない

なんて独り善がりな、自分本位な歌詞だろう。
そしてそのエゴに満ちた歌によって、間違いなく僕は救われた。

人間関係が上手くいかず、周囲に否定され嘲笑されていた(と当時は思っていた)僕にとって、絶望を真っ直ぐに歌うその声は他ならぬ救いだった。
この人は僕のために歌ってくれていると本気で思っていたし、このバンドのリスナーであることが何より誇らしかった。

全く勘違いも甚だしいと思うが、その時の僕にとってはそれが真実だった。


初めて、自分の金でCDを買いたいと思った。
僕が、この人たちのつくる音楽の助けになりたいと思った。

新宿のタワレコに走ってCDを買った。
片っ端から。新譜も旧譜も全部まとめて。
高校生にとっては安くない金額だったけど、どうでも良かった。

新譜が出る度にフラゲ日に買いに行った。
それだけのために予定を空けて、急ぎ足で家に帰りCDを聴く。
一回も止めずにアルバムを三周して、その声を聴く度に泣き崩れた。

東京でライブがあるときはほとんど足を運んだ。
当時は抽選なんかしなくてもチケットが取れたのに、申込開始の時間には必ず待機してチケットを買った。


僕が行ったライブの一つに、コヤマさん自ら執筆した物語の世界を表現するというコンセプトライブがあった。
大学受験を控えた高3の11月、通っていた塾を無断でサボって一抹の罪悪感とともに行った忘れもしないあの日。

https://youtu.be/3et53cBO3Xs

「ディストーテッド・アガペーの世界」と銘打たれたそれは、僕が理想とする表現の在り方を一晩で決定付けた。

あまりにも良いライブだった。
塾をサボったことなんて終演後には完全に忘れていた。
7年近くの時が経った今でも、あれを超えるライブには出会えていない。


多分これは、他ならぬ「信仰」の一つのカタチだろうと思う。

あれから色んな事を知って、たくさんの人と出会って、僕は音楽を仕事にした。

あの頃の純粋すぎる気持ちはしばらく忘れていたように思っていたけど、今ではCIVILIANと名を変えた彼らがリリースしたアルバムを聴いて、久しぶりに思い出したような気がする。

信じるものも大切なこともあの頃よりはだいぶ増えたけど、やっぱり根っこにはあの日の衝撃と感動が息づいているんだなと思う。


僕はどうやら、一生表現をすることを辞められそうにない。
いつの日か自分の創った作品が、あの日の僕のような人に衝撃を与えるために。

ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
気が向いたらまた何か書きます。

マッチ

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