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ぼくたちとCDと、現実と独善と


CD、やっぱりいいよね。
すごくワクワクする。


こんにちは。マッチです。



先日のM3秋、本当にありがとうございました。
今回僕が関わった「感性と凡能」「Envelope」ともども沢山の方にお手に取っていただけて本当に嬉しかったです。

自分たちの作った作品がCDというフィジカルな商品になって、それをリスナーの皆さんに直接手渡しながら売ることができる。なんて素敵な事なんだろう。


もちろん、普段インターネットを通してリリースした作品たちを聴いてもらえている事はすごく嬉しい。
今の時代はどこの誰でも手軽に世界中に向けて作品を発信できるし、そのあまりにも多い選択肢の中から僕たちの作品を聴いてもらえているのは本当にありがたいことだと思う。


でもやっぱり実際にお会いして、肉声で「かっこよかったです」「楽しみにしています」って言ってもらえるのってすごく嬉しいんだなって改めて思ったし、相手のお金を受け取って対価として自分たちのCDを渡すという行為が、作り上げた作品に対して確かな価値を見出してくれる人たちの存在を実感させてくれた。


これだからモノづくりは楽しい。やめられない。
即売会は今後も出て行きたいのでガンガン曲つくります。お楽しみに。



さて、CD。

音楽を目に見える形で手に取れるメディア。今となっては存在しなくても良くなってしまったもの。



想像に難くないと思うが、ストアやサブスクなどのデジタル販売に比べてCDはリリースするまでのハードルがけっこう高い。

まずコストの問題。
音楽に限らず自分の作品を世に出している方ならお分かりだと思うが、フィジカルの商品を用意するという行為にはそれ相応のお金が掛かる。

考えてみれば当たり前の事だが、作品を収録するための物理媒体(音楽ならCD、イラストなら紙にあたる)それ自体の材料費がまず掛かってくるし、印刷やプレスを依頼する場合は業者の儲け部分にあたる料金がそこに上乗せされる。

さらに現物が出来上がった後もそれを手発送する時間的コストや業者への委託手数料を考慮しなければならない。


そしてデザインの問題。
デジタルに比べCDは要求されるデザインの工程がかなり多い。

まず歌詞カード。
CDジャケットにあたる表表紙はもちろん、歌詞やクレジットを載せるためのページは各個でデザインしなければならない。

この時点でデザイナーさんの稼働は相当のものだが、さらにCDの盤面印刷、場合によってはバックインレイや帯のデザインもある。

商品として販売するのであればCDそれ自体の見栄えはとても重要だし、ジュエルケース(アルバムとかによく使われる分厚いケースのこと)の場合はCDを外した時に見える部分にあたるバックインレイのデザインも必要になる。
パッケージングされた際にケースについてくる帯のデザインも最終的な見た目に関わってくるのでかなり重要だ。


工程、多すぎる。マジでヤバい。



対して音楽をストア・サブスクでデジタルリリースする場合に必須なものは音源のwavデータと3000×3000の正方形ジャケットのみだ。
もちろん材料費なんてものは掛からない上に、既存のプラットホームを利用すれば僅かな手数料さえ払えばすぐにでも販売を開始出来る。
あくまでデータの売買なので発送の手間や保管手数料、そして余った在庫を抱える心配も無い。


正直めちゃくちゃ楽だ。
あまりにも理にかなっている。


そもそも現代のCDはもはやファングッズ・コレクターズアイテムとしての側面が強い。何故ならほとんどの人はCDをそのまま聴かずにスマホやPCに取り込んでから聴くからだ。
CDそのものは最初のインポートを除きほとんど使われないのが実情だろう。

元々デジタルなデータとして書き出された音源を一度は物理に落とし込んだのに、それを再生するためにわざわざ再びデータ化させるのはリスナーの手間を増やしていると言わざるを得ない。


かくいう僕もミュージシャンとしての実益だけを考えるなら断然デジタル派だ。
作り手側は大した手間もコストも掛けず世界中に音楽を発信出来る上に、プラットホーム側のサジェスト機能によって新規リスナーを獲得出来る可能性も上がる。
金も時間も無く、しかし知名度を少しでも獲得したいアマチュアミュージシャンである我々がこれを利用しない手はない。

そう、デジタルは合理的かつ実用的なのだ。
CDはいずれ駆逐されていく運命にあると言われても思わず頷いてしまいそうになる。


それでは何故僕たちは、わざわざ”非合理・非実用的なメディアであるCD”をプレスなり手焼きするなりして即売会で販売するに至ったのか。

CDである必要なんて微塵もないにも関わらず。

即売会に出るだけならDLカードでもQRコードでも、商品である音源データにアクセスできる媒体さえあれば極論なんでも構わないにも関わらず。



僕に言わせればもはやこれはエゴだ。
CDというメディアで育ってきた僕たちの、デジタルへと移り行く世界へのささやかな抵抗。

合理性とか実用性とか、そんなものクソ食らえというだけの話だ。


CDって良いだろ。ロマンがあるじゃん。
自分たちの作ったものが物理的な形として結実する。これはクリエイターにとって何にも変え難い喜びなのだ。

そして何より。
あの頃、学校帰りにCDショップやレンタル店にわざわざ足を運んで好きなアーティストのCDを手に入れ、それをワクワクしながら持ち帰る時の高揚感。

このCDにはどんな音楽が入っているのだろう。
その音楽はこれからどんな景色を僕に見せてくれるのだろう。

早く聴きたい。早く聴きたい。
このCDに入っている音たちに心を揺さぶられたい。

この感情は僕にとって何にも変え難いものなのだ。

一応断っておくが、僕はこの文章でDLカードとかデジタル販売自体を否定するつもりは微塵もない。
先に述べた通り僕は実益だけを考えるなら迷わずデジタル販売を選択するし、これから即売会に出るにあたってそれらを選択する可能性は大いにある。そもそもぶっちゃけ毎回CDを刷るのはキツい。

だから要するにこれは、僕自身の過去の経験に基づいた捨てられない”こだわり”の話なのである。全て分かった上で「それでも」と意地を張った結果なのだ。


懐古厨とか言われるかもしれない。
実際僕もその自覚はある。
わざわざ手間を増やしてごめんな。

それでも買ってくれてありがとう。本当に嬉しい。


僕らのCDを手に取ってくれた皆さんがあの日の僕と同じあの感情を味わってくれていたら、こんなに幸せなことはない。


渾身の新譜たち。
僕たちの独善と、数え切れない努力の結晶。


楽しんでくれていたら幸いである。
たくさん聴いてね。

マッチ

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