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廃院の危機に追い込まれた丘の上の病院。その再生を支えたスタッフの想い 【まちだ丘の上病院が誕生するまで】

東京都町田駅から車で約20分。自然にかこまれた小高い丘の上にあるのが、ここ「まちだ丘の上病院」です。

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“まちおか”の愛称で呼ばれるこの病院のミッションは「地域を支える」存在であること。

このミッションのもと、療養型病院として入院、外来診療(内科・整形外科・リハビリテーション)を提供。2020年秋には、地域の健康とつながりをテーマにしたカフェと、訪問看護ステーションが併設するコミュニティスペース「ヨリドコ小野路宿」のオープンも予定。地域に密着した医療を実現する新たな取り組みにも力を入れています。

そんなまちおかは、実は2017年まで「南多摩整形外科病院」という名前で呼ばれていました。脳性麻痺による重度身体障害児(者)の機能改善を手掛け、今とは医療内容も大きく異なっていたのです。

この南多摩整形外科病院は、全国から患者が集まるその分野では著名な医療機関でしたが、2017年に人材不足を発端とする財政赤字が原因となり、廃院の危機に追い込まれます。

しかし、「病院を存続させたい」という現場スタッフの強い思いと支えがあり、地域医療を支える「まちだ丘の上病院」として生まれ変わりました。

なぜ一度は廃院を決めた病院が、地域を支える病院として生まれ変わることを決めたのか──。

今日は、当時を知るスタッフが集まって再生に至るまでの道のりと、まちおかが目指す未来について話しました。

一度は廃院を決めた丘の上の小さな病院

まちおかの前身、南多摩整形外科病院。脳性麻痺による重度身体障害児(者)の治療や手術を行うこの専門病院の中核を担っていたのは、この分野の権威である松尾隆院長でした。

2016年、その松尾院長が脳梗塞で倒れました。突如訪れた事態に病院には動揺が広がります。

幸いにも病状は軽快。松尾院長はその後復帰を果たします。しかし、当時松尾院長は80歳。体調や体力のことも考え、オペ数を減らさざるを得なかった南多摩整形外科病院を待っていたのは、大幅な財政赤字でした。

そんなある日、松尾院長はスタッフたちにこう告げたのです。

「もう長くは続けられない。早期に病院を閉じようと思う」

この言葉をきっかけに、2017年初夏の理事会で廃院が決定したのでした。

「病院を潰すわけにはいかない」声をあげた現場のスタッフたち

しかし、結果として南多摩整形外科病院は、まちだ丘の上病院として生まれ変わり、存続が決定しました。

それは、働いていたスタッフから「病院をなんとか続けたい」と声が上がったからです。

当時の看護課主任であり、現看護師長を務める小川は当時を振り返ってこう話します。

小川「南多摩整形外科病院は、『一二三学園(ひふみがくえん))』という重症心身障害児・者の方のための介護施設を併設していたんですね。重度の障害のある方が適切な医療を受けつつ、日々の生活を送るための施設です。

利用者の方のなかには、もう40年近くも一二三学園で過ごされている方もいらっしゃいました。もしここがなくなっちゃったら、この方たちはどこへ行けばいいんだろうって。なんとかして残さなくちゃいけないよねって、現場スタッフたちで話し合ったんです」

しかし、理事会では既に廃院が決定。財政的にも追い詰められており、病院の存続は簡単なことではありませんでした。

小川と同じく当時の看護課主任であり、現在看護師長を務める川﨑はこう話します。

川﨑「当時の事務長が、経営を引き受けてくれる医療機関を必死に探しまわってくれていたんです。その姿を見ていたので、私たち看護師も何かしなきゃって。

その頃、手術を主に行っていた院長の引退が決まり、新規の入院患者さんはほとんどいない状態でした。78床あるのに、患者さんは一二三学園の利用者を除くとわずか6名ほど。そんな状態では、すぐに病院が潰れてしまうよね、ってみんなで話し合って。それで、看護師で手分けをして近くの病院をまわり、入院を希望する患者さんがいないか聞きにいったんです」

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看護師長 川﨑

当時を振り返って二人は「看護師になって、飛び込み営業やるなんて思いもしませんでしたよね」と笑います。

当時から病院を知る総務課の中山も、二人の話を聞きながら当時を振り返ります。

中山「看護師さんたちがみんなで資料をもって病院を回ってくださって。私たちはもどかしいですけれど、ただそれを見ていることしかできませんでした。本当に頭が上がらなかったですね」

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総務課 中山

地域包括ケア研究所との出会い

理事会で閉院が決議されたその約半年後、努力が実を結び、現運営母体の「一般社団法人地域包括ケア研究所」が経営を引き受けることが決まりました。

地域包括ケア研究所は、「あたたかな地域社会を実現する」をミッションに掲げ、少子高齢化する社会を地域から支えることを目的に設立された一般社団法人です。

引き継ぎが決まり、新たな病院の名誉院長には地域包括ケア研究所の鎌田實所長が、理事長にはコンサルティングファームや地域活性化ファンドなどの経営・運営を手掛けてきた藤井雅巳が着任しました。

新理事長となった藤井は当時をこう振り返ります。

藤井「はじめてここに来たのは、ちょうど3年前の8月でした。その頃、地域包括ケア研究所は、理念を実践したり、地域を支える医療者を育てたりするための拠点病院をもちたいと考えていました。そんな時、南多摩整形外科病院から継承のお話をもらったのです。

そこで、スタッフの方々に地域包括ケア研究所が何を考えているか、どういう方針でこの病院を経営していきたいのかを説明させてもらいました。ディスカッションの結果、お互いの目指しているものが一致して。それなら、一緒にやっていきましょうと継承を決めました」

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まちだ丘の上病院を運営する 一般財団法人ひふみ会代表理事 藤井

とはいえ、南多摩整形外科病院はこれまで重度身体障害児(者)の治療や手術を専門的に行ってきた病院です。それが地域医療を支える療養病院へと生まれ変わる。この大きな変化をスタッフはどう捉えたのでしょうか。

医局秘書課で事務を担う酒谷はこう言います。

酒谷「病院の存続が決まり、一二三学園も続けられるということでとりあえずは安心しました。でも、同時にびっくりもして。私はいままでドクターではない理事長のもとで働いたことがなかったので。新しくなる期待と同時に、これからこの病院はどうなっちゃうんだろうという不安もありました」

当時、病院の体制が大きく変わるということで、酒谷と同じように不安を抱えるスタッフも少なくはありませんでした。

しかし、そんな激動の時期を乗り越え、ここからまちだ丘の上病院は短期間で経営を立て直していきます。

新たな体制で病院をスタートした12月1日時点での病床稼働は約30%。それから1か月半後には病床稼働は約50%まで改善。その2ヶ月後には、約80%の稼働を達成しました。さらには、2か月弱で5人の看護師が仲間に加わるなど、採用計画を大幅に前倒しで達成。

そして、ついに1年半後には、黒字化に成功したのです。

病院を動かすのは理事長や院長ではない。現場スタッフ「全員」だ

病院の変革と立て直しの成功の理由は、一体何だったのでしょうか。その秘密は、病院経営の方針にあったのではないか。藤井はそう分析します。

藤井「理事長や院長がベテランの医者であれば、専門性が高く権威性もあります。それがよい効果を及ぼすこともありますが、現場からの声が出づらくトップダウンになってしまうことも多い。その点、僕は経営経験はありましたが、医療の専門家ではありませんでした。

だからこそ、現場のスタッフからの意見を吸い上げて経営に活かそうと考えました。スタッフが主体的に動ける環境をつくることが質の高い医療を実現するために一番必要だと考えたのです」

「現場スタッフの意見を吸い上げ、経営に活かす病院へ」

その方針を形にしたのが承継直後から開始した「運営会議」と「部署横断プロジェクト」です。

あらゆる部署の幹部が集まり、病院の財政状況から方針・運営状況など全てを共有する「運営会議」。

そして、より質の高い医療を目指していくために「地域連携、運営改善、魅力向上、人材開発、情報発信、効率化」をテーマにし、部署を横断して様々な取り組みを行う「部署横断型のプロジェクト」も開始。

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全体会議の様子

当時から栄養課で働く小根山は、運営会議と部署横断プロジェクトによって病院全体の雰囲気がガラッと変わったと振り返ります。

小根山「それまでは、これからどうなっちゃうんだろうっていう不安がみんなの中にあったんですよね。でも、部署横断プロジェクトにみんなで打ち込んでいくうちに、スタッフがどんどんいきいきとしていくのを感じました。しかも、全体会議でその努力が病院の状況に反映されていく様子も分かって。

これからこの病院はもっとよくなるんじゃないか。そんな期待感がみんなに生まれていたんじゃないでしょうか」

この頃から患者の数も目に見えて増加。それまでは大きな体制変更に戸惑っていたスタッフからも「やりがいを感じられるようになった」という声があがるようになっていきました。

中山「そういえば、『まちだ丘の上病院』という名前をみんなで決めるところから始まりましたね。みんなで候補を出して、投票をして。トップダウンではなく、みんなで決められた。だから今でもこの名前に愛着があるんです。その後、2018年の3月には、今の病院を支えるクレドも話し合って作りましたね」

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完成したクレド

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クレド作成時のワークショップの様子

まちだ丘の上病院が地域に密着した医療機関であるために

南多摩整形外科病院が、まちだ丘の上病院 “まちおか” に生まれ変わって3年が経ちました。

ここまで話してきたように、まちおかは再生の道を歩み、地域を支える医療機関として生まれ変わりつつあります。

とはいえ、まだまだ満足したわけではありません。より質の高い医療を提供していくためには、チャレンジを続けていかなければならない。そう考えているからです。

そのチャレンジの一環として、今取り組んでいるのが「あるといいながあるところ。」をコンセプトに据えたカフェと、訪問看護ステーションを併設するコミュニティスペース「ヨリドコ小野路宿」です(2020年秋オープン予定)。

今「医療」と「生活」の距離は離れつつあります。病院は体調を崩したら行くところというイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。つまり、「命」や「死」について正面から向き合う機会がとても少なくなってしまっているのです。

「自分はどう生きたいのか、どう死にたいのか」を考える機会がなくなることで、自分の人生を主体的に考えるチャンスも失ってしまっているのではないか。私たちはそこに課題感をもっています。

だからこそ、医療者として「思いっきり、地域の人々の近くに行く」ことに挑戦してみたい。それが「ヨリドコ小野路宿」というアイデアにつながりました。

まだまだ、地域を支える医療機関としてのチャレンジは始まったばかりです。

南多摩整形外科病院時代のスタッフたちが抱いていた「患者さんのために何とか病院を続けたい」という思いは、「地域の方々にとって必要な医療を届けたい」というまちおかのスタッフの思いとなって生き続けています。

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まちだ丘の上病院では、2020年10月に新規オープンする「あるといいながあるところ。」をコンセプトに据えたカフェと、訪問看護ステーションを併設するコミュニティスペース「ヨリドコ小野路宿」を一緒に創り上げてくれる看護師を募集中です。住み込みも可能です。興味がある方は、ぜひこちらのnoteもご覧ください。





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