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開設から60年。入所者とスタッフという関係性を越え、皆でつくりあげてきた重症心身障害児(者)介護施設「一二三学園(ひふみがくえん)」の歩み

まちだ丘の上病院に併設されている重症心身障害児(者)介護施設「一二三学園(ひふみがくえん)」。現在、一二三学園では、11名の重度心身障害の方々が、医療を受けながら生活を送っています。

一二三学園が入所施設としての歩みを始めたのは1960年。今年で運営をはじめてなんと60年がたつ歴史ある施設です。

開所直後から一二三学園で暮らしはじめた園生(学園では入所者の方々のことを「園生」と呼んでいます)もおり、なかには10歳で入所されて、56年間一二三学園で暮らしていらっしゃった方も。

また、勤続40年を超す長きにわたって勤めるスタッフが多いのも特徴です。単なる入所者とスタッフという関係性を超え、ともに暮らし、ともに生きてきたスタッフと園生たち。

今回は前編・後編にわたって、学園長の北島、栄養士・書記の丸古、介護士の菊名に話を聞きました。まず前編では、一二三学園ができるまでをお伝えします。

行き場のなかった障害児のための場所を

今から60年あまり前、一二三学園をはじめたのは和田博夫という一人の整形外科医でした。

和田は体を負傷した兵士の治療を主に行う「国立身障センター」に勤めていましたが、徐々に負傷兵だけでなく障害のあるお子さんの治療も手掛けるようになっていきました。

北島「当時は障害者(児)のための学校や施設がほとんどない状態で。障害があると就学免除といって『学校にこなくていい』と言われてしまうような時代だったんですね。行く場所がない、教育を受ける機会もない。そんな子どもたちが多いという現実を知った者の責任として、何とかしなくてはならない。そう感じた和田先生が、昭和28年に障害児のための夏のキャンプを始めたのが一二三学園のはじまりでした」

キャンプと言っても、屋外にテントを張って、川で遊んで…というものではありません。公民館などを借りて、1週間〜10日間にわたって子どもたちを預かり、機能訓練、生活訓練を実施する試みでした。

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当時行われていた手づくり平行棒による機能訓練

「いち、に、さん」と少しずつ成長してほしい。願いを込めてつくられた一二三学園

この夏季のキャンプは3年ほど続いた頃、子どもたちの保護者から「夏の間だけではなく、通年通える場所がほしい」という声があがりはじめました。

そこで利用者の一人の自宅を解放して(その後まもなく保谷市に移転)、障害がある子のための通所施設をつくることになったのです。さらに昭和35年、日中に子どもたちが通う「通所型」ではなく、そこで生活を送る「入所型」の施設へと生まれ変わりました。

北島「その頃に『一二三学園』という名前がつけられました。『障害があっても、はいはいして、たっちをして、その次には歩いてほしい。一歩一歩進んでくれたら』という願いを込めて保護者の方々がいち、に、さん『一二三(ひふみ)学園』と名付けたんです」

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一二三学園 学園長 北島

子どもたちにとっても、保護者にとってもなくてはならない場所へと徐々に成長していった一二三学園。しかし、当時は和田医師や保護者がお金を出し合いなんとか運営をしている状態でした。

「もう少し安定的に施設を運営していきたい」

その願いと実績が認められ、昭和40年には東京都が補助金を出してくれることに。そこから今の重症心身障害児(者)介護施設と形を変え、1971年には財団法人となりました。

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園生と職員(当時の学園玄関前)

子どもたちにとってよいと思うことは何でもやる

昭和49年に入職した栄養士・介護士の丸古(現在は非常勤の書記)はちょうどこの頃に一二三学園に加わったスタッフの一人です。入職前は介護とは全く異なる仕事をしていたという丸古がスタッフに加わったのは、朝日新聞に掲載された当時の施設長 杉原絹江のある言葉がきっかけだったそう。

丸古「『一二三学園があるから、子どもたちがくるんじゃない。子どもたちがいるから、一二三学園があるんだ』という言葉を杉原先生がおっしゃっていて。それを見たとき、きっと子どもたちが中心にいる場所なんだろうなって、強烈に印象に残ったんですよね。

当時私は福岡に住んでいたのですが、どうしても一二三学園に来てみたくなって。見学に来て、その日のうちに『ここで働かせてください』と頼み込んでいました(笑)」

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栄養士・介護士 丸古(昭和49年に入職)

全く介護の経験はなかったものの、すぐに一二三学園の根底にある考え方に強く共感したという丸古。まだ勤務形態なども整備されていない時代で、時には朝7時〜夜9時まで園生と過ごすこともあったとか。

朝起きてから夜寝るまでを園生とともに過ごす。食事を介助しながら、自分もともに食べる──。そんな生活でしたが、日々充実していたと丸古は振り返ります。

丸古「施設が西武新宿線の駅の近くにあったので、時々園生の方々と食事に行ったり、映画に行ったりしました。日々の生活のなかで、ちょっとした楽しみを一緒につくっていましたね」

そんな丸古は、杉原学園長に学園を任せるときに和田医師が言ったある言葉が今でも心に残っているといいます。

丸古「『子どもたちにとってよい思うことは、なんでもやってもらって大丈夫。それで何か問題があったときは社会的な責任は自分がとるから。でも、やりながら子どもたちにあわないって思ったときには、やめる勇気をもってやってほしい』この言葉は、後から入った私たちにも伝えられ、一二三学園で働くときの私の仕事の指針になっていました」

「自分たちのための病院がほしい」障害のある方の地道な運動から生まれた南多摩整形外科病院

一二三学園の創設者である和田医師は、同時期、障害者のための病院づくりにも奔走していました。それが現在のまちだ丘の上病院の前身となる「南多摩整形外科病院」です。

北島「和田先生は国立身障センターで整形外科医として、障害のあるかたの手術を行っていました。患者さんのなかには、手術後も長期的な経過観察や医療ケアが必要な方も多かったんです。でも、国立身障センターは手術後6ヶ月しか入院ができない決まりとなっており、長期的なケアが難しかったそうなんですね。

そこで障害のある方々が『自分たちの手術を専門的に行い、長期的にケアを行う病院がほしい』と運動を起こしたのです。都庁の前で座り込み運動なども行なったそうです」

地道な活動の結果、要望が認められ、病院の建物は都の全額補助で建てられることになりました。そして昭和56年、和田医師を理事長・院長として南多摩整形外科病院が開設されたのです。

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開設当時の機能改善医療施設 「南多摩整形外科病院」

和田医師が同じく代表をしていた一二三学園も病院開設から少しした昭和62年9月、同じ院内に引っ越しをしてくることに。そこから今のように南多摩整形外科病院(現:まちだ丘の上病院)と一二三学園が併設する形ができあがりました。

そこから南多摩整形外科病院が現在の「まちだ丘の上病院」に生まれ変わるまでの経緯は、以前こちらのnoteに書いたとおりです。

園生と保護者、そしてスタッフが二人三脚でつくりあげてきた一二三学園。前半ではその歴史を振り返りました。後編では、一二三学園で働くスタッフに想いを聞いていきます。

人生の大半を一二三学園で過ごす園生に、スタッフはどう寄り添ってきたのか。ぜひ後編もご覧ください。

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重症心身障害者(児)の入所施設「一二三学園」でケアクルー(支援員)として働く方を募集しています。もし、ここまで読んで一二三学園で働くことに興味をもってくださったかたは、ぜひこちらの募集要項をご覧ください。まずはコーヒーでも飲みながら気軽にお話しましょう。

園生の身の回りのお世話から食事・入浴介助など、園生が快適に生活をしていくため、様々なケアやサポートを行う仕事になります。

また、「応募フォームからはちょっとハードルが高いけど、質問だけでもしたい」という方はこちらに相談メールくださいね。どんな内容でも大丈夫です。
まちだ丘の上病院 人事課 加納
✉:office6@machida-hospital.com
(こんな顔してます)

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お読みいただき、ありがとうございました。

※参考
●一二三学園の歴史

1953年・昭和28年
重度肢体不自由児の夏季キャンプ 和田博夫医師(国立身障センターが開始)
下河邉征平医師が、手づくり平行棒で機能訓練開始
1956年・昭和31年 通所施設「吉田学園」(世田谷)をへて、通所の「一二三学園」保谷市へ移転

1960年・昭和35年
入所施設「一二三学園」開所 ( 東京都保谷市 - 現 西東京市)

1971年・昭和46年 
財団法人ひふみ会設立

1981年・昭和56年
機能改善医療施設 「南多摩整形外科病院」開設 (一般病床70床) 和田博夫理事長・院長

本病院は、根っこの会等を始めとする 障がい者団体が、東京都に長年運動した 事により、当時の美濃部都知事の決断で、 東京都の全額補助で建設

1987年・昭和62年
「一二三学園」と「南多摩整形外科病院」 の合体

1994年・平成6年 
和田医師逝去のため、機能改善医療中断

2002年・平成14年
機能改善医療再開 (/ 松尾隆理事長)

2017年・平成29年
「まちだ丘の上病院」に、 病院名変更

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東京都町田駅から車で約15分。小野路町にある小さな療養型病院です。自然豊かな地で「あたたかな医療」、「共に歩む医療」、「確かな医療」を目指しています。2020年10月にカフェ、イベントスペースが併設した複合型訪問看護ステーション、「ヨリドコ」をOPENします。
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