見出し画像

熱が出た!急いでお迎えに向かう時。職場にお休みの連絡をする時。

こんにちは、マチノワジョブの浦部です。

あっという間に4月ですね。
町田市内でも、本日が入学式・始業式の学校が多いかと思います。
ご入学・ご進級、誠におめでとうございます。

一足先に、保育園児や学童に通われるお子さんは、4/1から新生活を始められているかと思います。
我が家の末娘も、進級で通園バックが変わった事と、水筒を持参するようになりワクワクしていました。そして、お花で飾られた入口に感激、担任の先生も変わり、新しい先生の名前を復習するように家でも何度も〇〇先生、、と呟いていました(笑)

そして、長男・次男は新6年、新4年生となったわけですが。
3/31、自転車での転倒により靱帯損傷、ギブス生活を送っていて、2日に1回通院しています。

ふと、これが、週5でフルタイムで仕事をしているときでなくて良かった、
主人もテレワークで完全在宅でいてくれて良かった、と思うと共に、
子育てしながら働く、という事に、子どもの発熱やケガ、色々なものがつきものだったなぁと思い出したので、
「働く親の子どもとの関わり」というテーマの元、私の実体験を少し綴ってみたいと思います。


第一子エピソード。

長男(6月生まれ。保育園へは0歳9ヶ月での4月入園)

アレルギーや喘息等はありませんが、気管支炎になりやすい子でした。
4月から保育園に通いはじめ、初めて週5日(月曜から金曜まで)行けたのが、6月の3週目だったと、当時綴っていたブログで書いています。

当時、子どもを産んでも働く事がナチュラルにあった為、働く事に対しての戸惑いはなかったものの、まだ1歳にも満たない息子が保育園で何度も発熱、気管支炎で点滴を打ったりし、会社にも何度も頭をさげ、苦しそうな息子を抱き病院に通い、夜中も咳で起きてしまう息子の看病をしながらろくに自分も眠れない毎日を送る中で、
「あれ?子どもの為に働いていたはずなんだけど、私、何をしているんだっけ?」と朦朧としながら自問自答する日々でした。

私は東北、主人は九州、近くに頼れる親戚はおらず、夫婦2人で働きながら子どもを育てる。私が2日休んだら主人に1日休んでもらい息子を診てもらう、そんな生活でした。
当時から、主人が育児に協力的だったことは救いでしたが、
人一倍責任感の強い自分が、仕事も子育ても中途半端になっているような形容しがたい感情に襲われていたのを覚えています。
どこかで、「自分で決めた道だから」「今だけだから」と自分で自分を納得させながら、ギリギリの中で生きていたようにも思います。

朝起きてから預ける時は熱がなかったのに、職場について、いざ仕事を始めよう、としたときに保育園から「お熱が、、、」ととんぼ返りしたこともあります。保育園から職場に電話がかかってきたときの、あの「ドキドキ感」といったら。やりかけの仕事も手につかず、保育園の先生からは厳しめの口調で「何時にお迎え来れますか?」と。
急いで上司に確認し、周りの方へも事情を説明し、お願いできる仕事はたくし、「今会社を出たので、何時頃には迎えに行けます」と保育園へ連絡をいれる。
保育園へ向かう電車の中では、心配で心配で、一刻も早く息子の顔がみたい、、、苦しんでるのかな、ごめんねごめんね、色んな想いが渦巻いていたように思います。

翌日も熱が下がらず、お休みの必要があるときも、主人と

「今日はどっちが休む?」「休める?」と。

私が、子育てと両立するために転職をしていて、責任のない職場ではあったのでお休みは主人より多くもらっていましたが、それでも回数が多くなると周りの方への「申し訳なさ」が蓄積し、かといって時間の余裕もなく、通勤途中のスタバでお菓子を購入し皆さんに、すみません、、と持って行っていたことも、何故か鮮明に覚えています。

天使の声と悪魔の声

と書くと大げさですが、そんな日々を送る中でも、
天使と感じる言葉、悪魔(というほどのものでもないですが)と感じる言葉、両方ありました。

息子の調子も思わしくなく、主人に預けて自分は仕事に行っている中、
朝、職場で優しい言葉をかけて頂くだけで、涙があふれる程、心はぐちゃぐちゃでした。当時はまだ授乳もしていたので、がちがちに張った乳も搾乳をトイレで済ませるのですが、トイレであった大先輩に、
「お休み頂いてすみません、、」とお話しした際、

「なぁ~に言ってんの!!あなた達のお子さんが、将来私たちを支えてくれるんだから、もっと胸を張りなさい!小さいうちは熱出すなんて当たり前なの!謝ることないのよ!!」

と、本当に温かな、私にとっては目から鱗となる素晴らしい言葉をかけて頂き、余計に涙したのを覚えています。
本当に、周りの方に支えられていたからこそ、私は仕事を続けられていたのだと思います。

悪魔(と書いてしまったので)の声としては、
「え?またお子さん熱出したの?」
これは、きつかったですね。

はい、そうなんです、としか言えず、その方にとっては何でもない一言だし、お子様がおらず想像がつかないようでしたが、
「こどもって、そんなに熱出すんだね、大変だね」という棒読みのような
何とも言えない言い方に、戸惑った事もあります。

正社員になってからも、、、

前回の自己紹介の記事を書いた際にも息子たちが5歳と3歳の時に、転職したと書きました。長男が0歳の時よりは発熱でお休みする事も格段に少なくなり、次男は1歳半から保育園をスタートしたのと、元々多少兄よりも丈夫な所があり、いける!と判断しての転職だったわけですが、
この転職先でも、長男が6歳の時、気管支炎でほぼ2週間、仕事に行けなかったことがありました。

大きな病院へ移され、血液検査等も泣き叫ぶ長男。(余談ですが、泣き叫んでいたのは採血前。実際の採血は思っていたより痛くなかったらしくケロッとして帰ってきて笑えました)
慣れない大きな病院まで何度も通い、職場にも平謝り。やっと復活、職場に戻る際、あぁ、私は仕事を続けられないかもなぁと覚悟していたのですが、上司の反応は真逆で、実際に言われた言葉は忘れてしまったのですが、要約すると「申し訳ないなんて思わない事!!」というものでした。

まだお子さん達は小さいんだから。お母さんはあなた1人なんだから。職場は逃げないから。こういう時はそばにいてあげなさい。

ここでも、職場の皆さんの温かさに本当に救われました。
当時は、息子だけでなく主人も不調だったり、何かと重なっていて私自身発狂しそうになっていたのを覚えているのですが、過ぎてしまうと、人は忘れてしまうんですよね。

個人で主催していた、育休復帰セミナーでも、必ずお伝えしていたこと。
「こどもは、熱を、出します」
思っていたより、病気になります、ということ。
そんな時、どう対応するのか。

仕事のやり方は、各々だと思いますし、こういう時はこうしましょう、というようなワーママノウハウはたくさんの方が書かれていると思います。ここでは割愛させて頂き、私自身の体験を主に書かせて頂きました。

私が仕事を続けられたのは、家族はもちろん、
少なからず、私と同じような経験をされてきた大先輩方が、温かく見守ってくれた、温かい言葉をかけてくれたからです。だからこそ、私自身も、これから出産する、これから子どものいる暮らしの中で働く事を始める皆さんが近くにいたら、その支えになったり、こういう時もあるよね、うんうんと、少しでも気持ちに寄り添える人間でありたいと思うのです。


マチノワジョブでは、明日のお仕事創造も力をいれていきたいと思っています。キャリアコンサルタントは、個人の支援だけでなく、「環境」を変える力を持たなければならないと言われていますが、簡単な事ではないですが、それが出来る人間に、私もなりたいと思っています。

※マチノワジョブオープンデー開催します。
無料&説明会
日時:2021年4月9日(金)10日(土)10:00~17:00
場所:町田市中町3-10-6 COMMUNE BASE マチノワ内
ご予約不要。お気軽にお越しください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?