cup

毎度、珈琲に懸ける想いを力試し感覚で購入する今村能章さんのカップ。
数あるカップの中の1つだとしても何か違う。

地熱を感じるカップであり、珈琲を嗜む際にカップからメッセージが送られている感覚になる。
それをこちらがキャッチしたり、その感覚を探すように感じてみたり、珈琲という液体が語りかけるかのようにゆっくりと身体に流しこまれる。
カップにおいて、口当たりというモノは液体より先のファーストインプレッションであり、感触としては第1に脳に伝わる。
その他に香りや視覚から読み取るイメージが影響することは勿論、空間が作用したりもするが第1にはカップ。
その後、どのような傾斜であるのか、口元の分厚さによる味の捉え方、カップの重心、など。
堅苦しく考えなくて良い、楽しみの1つとしてカップは重要に思いたいという浪漫、傲慢、万歳でございます。


今村さんの作品を観たのは、お会いしたのは2017年。様々な作品を展示して衝撃を受けたことは勿論、コーヒーを振る舞っていた事がびっくりだった。
その当時、僕が知る限りでは在廊した作家さんが珈琲を淹れて振る舞っているなんて初めてでした。
作品以外の話から作品をアプローチして、愉しんでいる姿そのものが、魅力的に感じる作家さんも初めてだった。そして、初めての感覚に陥るような人だった。
世界観がリスペクトを込めて、分からなくて、到底理解できなくて、欲しくなり購入した。
作品以上に、その人を知りたくなり購入に踏み切った作家さんでした。
だから、珈琲店をしたら今村さんの器を使いたかった。
僕は他の人に比べて、そんなに沢山も持っていないけれど、今村さんのカップはその他、僕が持っているカップでお客さんに提供する際にも応用し、影響している。
カップや、ソーサーは飲み手の姿勢を創る。
僕が飲み手に対して、アプローチが珈琲だけでなくカップを通してトータルコーディネートする。

普通に飲んでもらって構わない。  
僕は好きだから勝手にしたくて、楽しくて、それが伝わった時はもっと楽しくて。
そういうことが、カップを提供されるまでにあるということ。僕は好きだから、したい。
たった、理由はそれだけ。

たくさんの方のお陰様で、町野珈琲店があり、珈琲があり、カップがあり、届けることができる。

普通に飲んだ先の、美味しい。

その無意識な美味しい!に勝手な拘りを詰め込ませて下さい。せっかくなので、楽しませて下さい。

勝手ながら、明日以降も宜しくお願いします。

不調和の調和(DE OJAL)

DE OJALさんにて、「不調和の調和」と題し、5/12迄、開催されております。
お好きな方は、、是非に。。 
僕は楽しんできました。

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