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8月21日(2004年)ああ、山瀬

2004年の第2ステージのレッズは、昨シーズンまでのレッズの中では最強だったと今でも思っています。この日のヴェルディ戦はその象徴のような試合でした。
試合はエメルソンの先制に始まり、永井のハットトリック、そして山瀬のハットトリックと、スコアボードにとてもきれいに並びました。エメルソンがあと1点取れば、麻雀の上がりみたいになると誰かが言っていました。

この試合では永井の70メートルドリブル突破のゴールが有名ですが、私にとっては、山瀬功治のハットトリックの喜びの方が大きいものでした。

実は私がユニフォームに初めて背番号を入れたのは山瀬の8番だったのです。そのプレースタイルが好きで、気が付くと、山瀬ばかり目で追っていた時期もありました。その山瀬が短い時間で、ハットトリックしたものですから、最高な気分でした。
しかし、約1ヶ月後、靭帯断裂の大けがをした時は悲しくて、再び彼のプレーを見る日を願って、ツルを折ったり、寄せ書きを書いたりしたものでした。
そして、そのシーズンが終わっての出来事はもっとショッキングなものとなりました。リセットという言葉を残して、マリノスに移籍したからです。人に裏切られた想いというか、失恋の痛手というか、すっかり打ちひしがれてしまいました。

その後何年間かは、その選手の怪我や別れが怖くて、ユニフォームに誰の背番号も入れることはできませんでした。

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