11月3日(2003年)決勝戦チケット
浦和レッズが初めてタイトルを取ったナビスコカップ決勝戦のこの日はそれまでの歴史を塗り替える輝かしい日でした。
しかし、その日を迎えるのにはどうしてもチケットが必要です。そのために我ながらよく頑張りました。
約1ヶ月前の10月8日、浦和レッズは準決勝で清水を6-1で退け、2年連続2度目のファイナリストとなることが決まりました。そして、その週末の土曜日(11日)が決勝戦チケットの発売日でした。
前年のチケット取りに少し苦労したので、今年は家族で手分けして、自宅でパソコンに向かう者を残して早朝からいくつかのコンビニに並びました。浦和近辺だと混んでいるだろうと思い、都内のコンビニにスタンバイしました。2番目だったのですが、先頭の方もレッズサポーターで、仲間が他の所で取ったとの事で、順番をゆずってもらい、10時ちょっとすぎには操作に入れたました。しかし、全くつながらず、つながった時には既に完売でした。
他の家族も全員アウト。帰宅後に確認したネット情報で、オークションに莫大な数のチケットが高価で出回っており、愕然としました。転売目的で何やらのソフトを使って買い占めた者がいるらしいことが分かりました。その当時、転売は違法ではありませんでした。
このことに私は憤りを覚え、サッカー協会の川渕三郎会長(当時はキャプテン)に手紙を出したのが13日の事です。その中で、チケット販売について、それまでずっとチームを応援してきた人達が購入できるような方法を考えてほしいと訴えました。
すると、その10日後、川渕キャプテンから直筆の返事が来たのです。
この件については不愉快極まりないと思っている。今の所、手の打ちようがないが、何か方法を考えろと命令をしている。頭の痛い話ではあるが、今後とも検討を続ける。
との内容でした。
気持ちが通じた気がして、思い切って手紙を出して良かったと思いました。
我が家のチケットの方ですが、次の週末、チケットの再販があるという情報があったので、今度は23区内のぴあの販売所に始発電車に乗っていきました。暖を取るために毛布持参です。しかし、ダメでした。
夫はちょっと離れた都下の市部のぴあに並びました。そこで奇跡が起きました。前に並んでいた人が電話操作でとれ、仲間も取れたので余ってしまったというのです。譲ってもらう約束が成立し、4枚を確保することができました。チケットは1週間後くらいに送られてきました。
家族6人ですので、あと2枚。次男は19日の味スタでの試合の前に「チケット譲ってください」の看板で運よく入手でき、長男は仲間が確保できたので、これで無事に全員決勝戦に行けるようになりました。
さて、決勝戦の何日か後に「Jチケットが偏った訳は」という投書が新聞に載りました。決勝の日、ゴール裏以外の大部分がレッズサポーターだったことに対して、売り方が不公平ではなかったのかという意見です。それに対して、浦和レッズのサポーターからチケット獲得の努力の賜物だという反論と、ダフ屋まがいのオークションについて何とかならないかという意見が掲載されました。
現在、決勝戦などのチケットはサポーターにはとても取りやすくなりました。チケットの不正転売禁止法もできました。あの頃の苦労が報われた気がしています。
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