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壁画からタピエスへ

 福岡県の遠賀川流域に竹原古墳がある。その奥壁に描かれた絵は、ほんの偶然にそれに関するテレビ番組を夜遅く観て以来、私の頭から離れず、全身にとげのあるいきもの、両脇のサシバ、左右両方から押寄せてきたような波、そして馬を引いている男の人など、そらですべてが描ける程何度も自分で描いてみた。番組を観た次の日に、古墳がどういうものであるかを、まだほとんど知らない私の子供達に、絵を描いて興奮気味に説明したのをよく覚えている。
 何が私をそれ程エキサイトさせたのかを、今よく考えてみると、絵そのものについては、正体不明のとげのあるいきもの、全体的には古代日本人の生活やものの考え方を、壁画を通して現代の私達に教えてくれようとする考古学のおもしろさであったと思う。実際その頃から私は内外の考古学の本を読み漁り、一冊ごとに固まっていく思想は、人類全体のキャパシティは場所、すなわち地球、時、すなわち有史以前から今日までどの部分で輪切りにしても不変なのではないか、というものである。 人間の機能そのものに、まだことばさえ持たなかったはじめの人間と、今地球の外に宇宙都市を造ろうとしている人間で、どれ程の差異があろう。 生を受けた者は、死をまぬがれることはできない。目覚めている者は必ず眠りに就く。人は人を追抜くことはできるが、人を造ったものを追越すことはできない。「 アキレスのパラドクス」のように、亀は永久にアキレスを追越すことはできないのである。しかし一方で、毎日その前の日に伸びた半分ずつ伸びるたけのこの例がある。生命のある限り、たけのこは永久に伸び続ける。 こんな数学理論をもちだす程、考古学は明快なものではなく、むしろ方向としては逆かも知れない。それに私は決して詭弁学を好むわけではない。
 教育社の「装飾古墳」という本の巻末に参考文献として載っていた、中央公論美術出版 「竹原古墳」が見たいと思って、知合いの本屋さんに頼んだところ、もう絶版になっているとのことであった。市の図書館に調べてもらったがないといわれ、水戸の県立図書館を紹介してもらった。電話で間合わせてみると、やはりここにもなく、ないとなると何としてでもみたくなる気持ちが一層つのる。ここで国会図書館を紹介してもらって、市の図書館にのぞみの本がたしか五日間だけ、それも帯出はできない、という条件つきで届いたのは、かれこれ一カ月近くあとのことである。連絡をもらった時は何かの事情ですぐには行けなかったような記憶がある。それでも何とか時間をつくって、さあ、見せてくださいと行って出された本を受けとった時、 私は誰かどこかで間違えたのではないかと思ったものである。「これが…」あれほど見たいと熱望した本か、と拍子抜けすること甚だしい小さい薄い一冊であった。
 内容もより詳しい位置寸法以外には、私が得ていた情報を上回るものもなく、正直にいうとがっかりしたのは事実である。 この体験で得た最大のもの は、こちらがのぞんで、それなりの努力をすれば必ず報われる、ということである。
 この壁画にとらわれていた頃、あるチャンスからカタルーニャの画家タピエスの作品をみることがあった。 フランコ総統に反抗したカタルーニャ地方の芸術家は多いが、タピエスもそのひとりである。 ごく初期の作品の中に「竹原古墳」のとげのある怪獣そっくりのいきものを描いたものがあって、 私はその偶然性に驚いたものである。 そしてこの時にはじめて、スペインという国が八つの大きな地方に分けられていることや、スペイン市民戦争のことを知った。うっすらと人類の流れやその方向が見えるか見えない頃、私はようやく学校とは勉強する場でもあって、気にいった友達を見つけたり、そこで夕暮れまでおしゃべりするためだけの場所ではない、と気がついたのである。

(昭和六十四年一月)


竹原古墳壁画

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