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死の妄想 No.1299

 全ては夜始まるのだ……太陽は受動を指す。夜には人間の能動(妖力による)がある(暗いために瞳孔を開き、また晴れている場合月の光を浴びる)。おれたちがいる(ある)のは、死ぬまで夜だ。おれが出来たのも夜だろう。宇宙が始まる直前は暗かったはずだ…

 おれはもうこの頃はピンサロや整体や美容室もすっかりやめて、毎日妖時になるととある方法で触覚のチューニングを済ませ、「妄執機構」にとりとめもない妄想を提出する生活をしていた。提出は古い方法だから、宛名書きもアドレスの記入もいらない。チューニングをした後は、音楽を聴きながらでも、本を読みながらでも良いから、とにかく好き放題、なるべくものを多く考えた。多くは取り止めのないことだ…ポルノ同人の筋書き、サード・ダブリン、レセプション、森高千里のドラム=スリッパ、なんくるないさで「元気に」、中国、ようやく自転車に乗れるようになったよ、春、ひまわり山脈、思い切りスタート我慢しろ…

 得られる報酬はちょっとした派遣くらいだったが、時間で言えば長くしないから貯まらなかった。「機構」はハナから「個人情報を利用することはない、社会的に有用でも無用でもない者からの提供を目的としており、且つノイズの量的に利用できるレベルの個人情報は得られない」と説明していたが、おれはそのことが引っかかり、初めのうちのレビューは散々だった。もっとリラックスをしてください、思い切りスタート我慢してください、チューニングを一段階飛ばしたものと思われます、あいつらは注文が多い。おれは「機構」の住所を知らないが、バスの後ろについているはずだと思う。向こうから来るエネルギー量が、何かと小さい上しょっちゅう揺れるのでそう思うのだが、夜行バスの後ろでなかったら月にあるのではないかとも思える。AM波くらいの周波数であるから、どこにあるかを特定することは難しい。チューニングを厳密に行い、おしがま腰振り、突然チュロスなどを心得れば位相の特定も可能なように思えるが、その気力はなかった。

 「妄執機構」の収入では毎日提出を欠かさず行なったとて小さなアパートの家賃でトントンだったから、昼間から終電くらいの時間でいろんな雑事をして小銭を拾った。ちょっとした人探し、スニーカーの転売、発展場や賭場でスリ、競馬の予想師、ヤブ医者もやった。学生時代に立川のブックセンターいとうで二束三文で買った黄帝内経などの書物と触覚だけを頼りに、コンビニ感覚で訪れる梅毒やギランバレー症候群の連中に中薬の処方や場合によってはドライクリーニングを行った。アマチュア医療従事者は、酒の飲み過ぎと頭の使いすぎである日気づいたら4畳半の診療所をめちゃくちゃに破壊しており、廃業せざるを得なかった。銀座43の地下(しかもエレベーターのない地下二階だからまともな神経の者は来ない)という立地もあってかかりつけはいなかったから、廃業して電話の一つも来なかった。



 人の脳は昼間は休んでいるようだ。ビタミンDを光合成しながら、赤肉ヴィーナスをゆっくり寝かせてやっている。昼間に何かを「作った」こともましてや「考えた」こともなかった。太陽が真ん中にあったら命じられるまま電車に乗ってまた街へ出て、終電一本前の電車で帰るだけだ。昼間は何もしなくて良いという気楽さに気づいてからは、「機構」への提出に体力を残せるようになった。もっとも、他のほとんどの人間はプ・ルリナーレ・コンプレックスのハリ型となって情緒的な(ナイーヴな)時間に酔いしれているのだが、もはや保守的な伝統にも見えた。

 東京が暖かくなってきた頃にそれは起きた。おれははした金を貯めるのを諦めて、毎日豚肉とトマトと黒パンを腹一杯食っていたから体調が良く、脚が3本あるような気分だった。その日の提出が、日本語で表すとおおむね次の通り。「ワールド・チャンピオン・ニッポンの熱い白いやつ飛ばし、選手の腰の体操(白いユニフォーム)を見る→なぜか下腹のあたりがビリッと痺れる、金メダル級白いやつ飛ばし、認知行動療法だけに意味がある、立ったままドラえもん博物館に行く、思考は昔から形になっている、フランスデモ・フランス式女性差別、ニューロン声」触覚がビチッといういやな、下品な音を立てたのを聞いた。あれはぞっとする…突然足から上の身体全てが硬直し、一瞬の激しい痒みののち無感覚になった。眼球含め腕や背筋が40%くらいの稼働速で動くのだが、触覚は死角にある。「ここじゃない」「退去費が払えなくなる」というまったくの直感(意識と肉体が完全に一本になっている)が、おれの身体をあおむけの蜘蛛みたいな動き方でベッドから引きずり出した。
(エアコンをかけ続けているせいで)閉まっている窓に、おれはチンコをまっすぐ向ける体勢に入っていた。起こることがだいたい分かった。被験者の資格を失うだろうという直感もあった。それは雑だったが…因果を考えるとこういうことかと理解できないこともなかった…長い日課の熟練の思考だ。無感覚が止まないことを願っていた。チンコがどうなっているかは知らないが、全身が鈍くチンコのようだった。今触覚だけが俺の脳だったが、そいつも不吉な音を立ててさっきどうにかなってる。
筋肉が収縮し始め、表面がシワシワになるようだ。この状況を手早く終わらせること(一気に解放すること)を考えて、自らの無感覚でギャンブルみたいに力を入れた。いぜん、脚を広げてチンコは窓に向けている。首の後ろまでの鈍い痺れが頭にまで到達し始め、気を失っていないのが不思議だが、目を硬く閉じているはずがしっかり見えている。窓と、三本の脚だ。かっ飛ばせ!熱くなれ!ホームランホームラン!GO!サヨナラツーランホームランだ!思い切り振れ!振り抜け!柔らかなリスト!硬い守備範囲!抜群のセンス!かっ飛ばす!!!フルスイングだ!!!
 赤い光が頭の中と部屋の中にバチバチと走るのを感じた。耳鳴りがシャアシャアとものすごい音量を鳴らし、全身が最高収縮の時に脳内に生まれた小爆発が全身を吹き飛ばすように何倍ものエネルギーを持ってし弛緩させた。少ししてから、そのものすごい爆音が少しずつ形をもって(デシベルが下がって)聞こえるようになる。英語であれば"Farewell, my masician"というようなことを、ずっとずっと語りかけてくる。触覚で聞いていると思ったものは、無意識的に耳でも聞いていたのだ、少なくとも脳の同じところにレセプターがあったのだ、と感じながら、声の主は昼間休んでいる正体である赤肉ヴィーナスだと感じた。脳を挟まない直感であった。

 カラスの鳴き声で目を覚ました。部屋には明け方の薄暗さが差し込んでおり、寒かった。頭を起こすと、窓ガラスの片方が「ない」ことを悟った。冷たい風がじかで顔に当たるのだ。
 西の方角から、触角を振動させる何かがあった。ない窓から西の空を見た。沈みかけの満月が、赤いような…黄色いような…充血した目のような色でこちらを見ていた。赤肉ヴィーナスがあそこにいる。振動の主は彼女の声(小さすぎるが)に、他ならないのだ。あいつは月を飲み込んでしまったのだと、思う。あいつは、脊髄にまっすぐ住んでいるヘビのような奴だったからだ。ヘビが動物の卵を飲み込んで食べるように、あいつは月を胃袋の中で光らせている。
 繰り返す振動は形として聞こえなかったし、日が昇るうちかすかな振動も治った。
 思い出したように慌ててチンコを見ると、今まで通りに眠っていた。赤肉ヴィーナスを、空に向けて窓を突き破る力で…


ふたなりの誕生である

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