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私の体を切ったら、金太郎飴みたいにたこ焼きが出る(原題 私の好きな食べ物は、たこ焼き)

私はたこ焼きが好きだ。
いや「好き」だと言う言葉では足りない。
私の身体は、多分金太郎飴みたいに
どこを切ってもたこ焼きが出てくるくらいの

「好き」だ。

中学生のころから毎週焼いていて、大人になる頃には、粉は大阪道具屋筋の専門店から3キロ袋を取り寄せ、ソースも24本入りをいつも買って友達と分けていた。

家でたこ焼きパーティーは、しょっちゅうやっていたが、ある時

実家のマンションでやっている
秋祭りで、たこ焼き屋をやりたいと
思い立った。

その秋祭りはかなり大規模なもので、子供服や本のバザーやおしるこ、焼き鳥などの出店、住民の方が作った陶芸市や、バレエ、合気道の舞台もあった。

母にエントリーしてくれないか頼むと「気持ちは分かるが、そういうのは個人でやるものではなく団体でやるものよ」と首を捻られた。
私はどうしても一度でいいから、夢だったたこ焼き屋をやりたい、個人でもいいじゃないかと言い張った。

母はそんなに言うならと、エントリーしてくれ、私は実行委員会に顔を出した。

会議では『たこ焼き屋?個人参加?何のために?』
また、『住民ではない人が屋台を出すのはおかしい。』
『いや、今年は出し物も少ないし、せっかくだからやってもらおう。』

意見が分かれた。

参加させるかさせないかで
何度も話し合いの会が開かれた。
住民同士、だんだん言葉がキツくなり、
やるべきではなかったかと、下を向いていたら、

夫が『アナタにたこ焼きをやってほしい人が半分、やってほしくない人が半分だよ。前に進んでも後ろに進んでも同じなんだよ』と言ってくれた。

そうか、それなら私は前に進もう!

会社の同期や、ママ友、学生時代からの連れに応援を頼んだら、20人ほど来てくれることになった。

まず200食売るには、
どのくらいの量を準備すれば良いのか?   生地は当日混ぜるのか?どうやって保管する?冷蔵庫はいる??分からないことだらけだった。会う人、会う人に
文化祭での出し物屋の経験など、聞き回った。

焼けたたこ焼を、皿に載せたらプラスチックが溶けてしまったり、注文していたタコが大きすぎて、山のように切らなければならなくなったり、
外で焼くと、風が強くていつまでも焼けなかったり、焦げ付いたり、色んな問題はあったが、

ついに秋祭りの日が来た。
あー、もうどうにかなるさと、
火をつけて、たこ焼きを何度か焼いていたら、

テッパンに油がまわって、
嘘みたいに、自分の思い描いていた
たこ焼きが焼けた。もう嬉しくてたまらなかった。

個人でエントリーしたとは言っても、
祖母は資金を出し、箸袋を折ってくれ、母は実家の狭い台所に、寸胴鍋を4つもならべ生地を混ぜてくれ、父は途中で足りなくなるかも??とスーパーのネギを全て買ってきてくれ、
夫はサポート役に徹し、黙って手を動かし続けてくれた。

さらに、ママ友や母の友人達が大きな看板を作ってくれたり、当日、友達、同期、近所の方、大勢の方にたこ焼きを焼いてもらったり、住民の方が、売り子役を買って出てくれ
大きな声で呼び込みもしてもらった。

みんなの力で、わっしょいわっしょいと神輿に担がれたような夢の一日を過ごさせてもらった。

何年かして、友達とランチに出かけ、
『ねえ、一番好きな食べ物って何?』と聞かれた。
『エビチr』と言いかけたら、
もう1人が
『アンタはたこ焼きでしょ。アンタのせいでどれだけみんな大変な思いしたと思ってんのよ、アンタはたこ焼きって言いなさいよ』
と、すごい速さで突っ込まれた。

当日、赤バンダナで誰よりも早くきて道具を何往復も運び、私の息子に付き添い.合気道の舞台に送り出し、出番になったよと、私と夫を呼びにきて、一緒に応援し、祖母を車椅子に乗せ、秋祭りを見せにまわってくれた人からだ。

『あ、確かに。 そうだった。。』

以後、好きな食べ物を聞かれたら必ず
あの日手伝ってくれた方々の顔を思い浮かべ

『たこ焼き』と答えている。

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