まろちゃんというのは、高校2年生の頃からのわたしの推しである。刀剣乱舞の源清麿くん。わたしは、まろちゃんと呼んでいる。 まろちゃんの普段の仕事は歴史を守ることだ。あるがままの。良くすることも悪くすることもしない。 なんで好きになったか忘れたけど、ずっとまろちゃんのことが好きだ。まろちゃんの看板イベントである特命調査天保江戸ではまろちゃんがひたすら審神者(ユーザー)を励ましてくれる。それでだったかな、それで好きになったのかも。 高校2年生のわたしはただひたすらに余裕がなく、
人生モチベとは人生に対するモチベージョンの略として私が使っている言葉である。 ボランティアの団体で関わっている同期は、人生モチベが高い。将来の目標が定まっていて、そこに至るまでの過程、するべきことを明確にしている。人生に対して執着があるというか、こだわりがあるというか。人としてあるいは学生としてあるべき姿なのかもしれないけど、わたしはその姿を見てどうしても、あいつすごいなあとぼんやり、違う世界の人みたいに見てしまう。 「君ちゃんはあと計画性さえあればすごい人材なんだけど」
ボランティアのミーティングが終わったのが数時間前で、それから今の今まで何となく残ったメンツでズームを繋いで、取り留めのないことを話してた。みんなの地元でおすすめのとことか、いったことないとことか、みんなの名前のこととか、次のイベントのこととか、解決したい問題とか、色々。 口角を上げ続けた頬が痛い。液晶を眺め続けた目の奥が痛い。zoomだと、みんなの顔を見つつ隅っこに映る自分の顔が気になって仕方ないから余計に疲れる。お風呂に入る気力なんてないけど、明日も一限からだから入っとかな
学園祭とか文化祭って、ぼくいちばん苦手。 例年あのわーわーしたノリについていけなくて、馬鹿真面目に準備して、仕事押し付けられて、楽しんでる人の踏み台をやってる。高校三年生のときに至っては、前日準備までしっかり参加して、本番当日休んで1人で水族館に行った。 あの朝布団の中で頭が痛くなるくらい泣いて、もう間に合わない時間になって、最寄り駅まで歩いた。学校とは反対方向の海が見える鈍行電車に乗って遠くの水族館に1人で行ったけど、三連休初日だったから嘘みたいに人が多くて悲しかった。電
名前の読みが難しくて、ぼくの曽祖母はいつもぼくを間違った名前で呼ぶ。訂正してもしてもしても、19年ずっと。曽祖母の前でぼくは、まゆちゃんとか、あゆちゃんでいる。違った読み方の名前たちはメルカリのユーザーネームとかになってる。 19歳になっても自分のことを名前で呼ぶ。 だって、“わたし”って言うより、名前の方が2文字で短いから合理的 2文字だったらなんでもいいんだ。だからたまにぼくって使う。 3人兄妹の真ん中で、こども時代のおやつは大体スナック菓子かファミリーパックの個包装
昨日は23時までバイトがあって、へとへとになって帰ってきたら、アパートの玄関のドアに招待状が貼り付けてあった。 23時57分に学校の駐車場に来てください(強制) 57分て。わたしはとりあえずお風呂に入って、52分に家を出た。気温はマイナス1度で、もっと厚着してきたら良かったなんて思いながら、学校の駐車場を目指して坂を下り、登る。数台しか停まってないだだっ広い駐車場には友人の車が端っこに停めてあって、わたしは一台分空けた隣に停めた。何か始まるのかなーって思ってたら、そうちゃ
のーと始めた。存在は知ってたけど、やってみようっていきなり思い立って。 気が向いたときに考えてたこととかをこれまではインスタのストーリーに誰にも見られないようにこっそりあげてたりしたんだけど、これからは日記的な意味合いを強めるつもりでこうしてインターネットの海に流してみることにする。ボトルメールみたいですてき。 アイコンにするべき写真が思いつかなくて、前にドライブしたときに撮った友達にした。アイコンが三次元だと、ましてや人間だったら、それなりに普通に生きてるっぽいひとに見