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母のこと(特養入居までのあれやこれや)ほぼ愚痴

母の特養入居が決まりました。
どうなるかと思ったけど、思ったより早かったです。

ここに至るまでの経緯。
今から20年程前に、定年を迎えた父が「故郷に帰りたい」と母と一緒に田舎へ帰ってしまいました。
しばらくは2人で元気で楽しく過ごしていたけれど、10年程前からかな?母がメンタルを患ってしまいました。
そして良くなったり悪くなったり、たまに入院したりを繰り返しながら、父がマメで元気なので、まぁなんとか、老人2人暮らしが出来ていた訳です。
でも2年前、父が怪我をして入院。
母は1人では生活出来ないからショートステイへ。
父は驚異のスピードで完治し、老人2人暮らしは再開。しかし、1年後、また父が今度は膝を悪くして入院。。。母はショートステイ。
老人2人暮らし、雲行きが怪しくなってきました。
娘たちが近くにいたら、色々援助も出来るけど、遠方なので(千葉→九州)出来ることも限られてくる。仕事の関係もあり、すぐには休めない、行けない。
父は退院したけど、以前のような健脚ではなくなり、でもまあ綱渡りのような老人2人暮らしは継続。
今後のことを家族会議をしなきゃね、と帰省を考えていた今年の初めに、母が脳梗塞を起こしました。
結局、左麻痺が残り、足の悪い父との2人暮らしは厳しい為、母の施設を探すことになりました。

でも、正直ホッとしたよ。
こんな状況なら施設に入らざるを得ないから。
2年前の父の怪我の時、母は「これからどうなるのか」と不安が強くなっていて。
施設には入りたくない、そもそも九州に帰りたくなんてなかった、私はどうなるの?と。
母は強くて元気な人だったけど、お姫さま体質で。
私は昔から「年を取ったら面倒みてね」と言われていました。
母はいずれ、私が九州に来てくれることを望んでいたのだと思います。
母の鬱が悪化したのは私が結婚したから。
結婚しないだろな、と思っていた私が結婚し、しかも旦那の母と同居になったので九州に来てくれる線は無しに。さぞガッカリした事と思います。
2年前の父の入院の時にもまた不安がるものだから「いざという時(父ちゃんが先に亡くなったりしたら)は千葉に呼ぶよ。仕事があるし、九州には帰れないけど、私は家を出るから一緒に暮らそう?」と話すと母は「嬉しい」と言ってくれました。とりあえずその時は母の気持ちは収まり、今後の事は先送りに。
姉は心配したけど、婚家の近くにアパートでも借りて行ったり来たりしながら、なんとかなるかな?とその時は本気で思ったのです。
旦那も、旦那の母も了承してくれたし、旦那も協力するって言ってくれたし。
今考えると無理すんなや、って思うけどね。
罪滅ぼしの気持ちもあるけど若干ヤケクソでもあった。笑

でも、今回のことで、在宅生活は無理。父はまだ九州にいたい、父は娘たちに迷惑をかけたくない、ということで施設だよね、という状況になり私はちょっとホッとしたのでした。

さて、土地勘もない遠方の地の特養探しが始まります。。。きゃー
(続く)

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