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天使 -エンゼルクリーム-

「あの人と夜勤だと荒れるね。」
どの病棟でも、そんな都市伝説みたいな話はある。
満月だと出産が多いとはわけが違う単なる言いがかりだ。

そもそも入院患者さんの病態が悪くなったり、緊急入院が多かったりすることを“荒れる”なんて言葉は隠語であってもひどいと私は思っている。

イライラいているのはいつもの生理前の決まり。
雨で月曜日でもあるし、いつでも一緒にいたいと夜勤明けでも遊びに来る彼氏に別れを告げた感傷のイライラもありそうだ。
彼には、1週間前に青年海外協力隊の一次試験をパスしたこと、そもそもそんな夢も話したこともなかったから、別れは仕方がないのはわかっていた。

更衣室で着替え、角を曲がり、病棟が見えた時、なにかが違うのを感じた。
これは説明できない感覚。

「321号にエンゼルキット持っていって」
エンゼルキットは、死後処置備品のことだ。

「えっ」
321号室は私が担当している節子さんの部屋だ。

「ああ。2日前から尿が出なくなってね。娘さんは昨日来ていたけど、今朝は間に合わなかったのよ。」
淡々と言う看護長に悪気はない。

夜勤明けからの連休で受け持ちの患者さんが亡くなったり退院したりで全員変わってしまうことも急性期の病棟では珍しくない。

「節子さん・・・」

節子さんは、3日前の夜勤最後の訪室の時に、疲れた顔を見せてしまった私に笑ってこう言った。

「白衣の天使はどこいきましたか。プロの天使なんだからしっかりしなさい。私もプロの患者なんだからね。
でもね、プロも休むことも大事。早く帰ってゆっくりしなさい。
私もゆっくりするわ」

お昼、昨日、節子さんの娘さんが断っても置いていったエンゼルクリームを泣きながら頬張った。
溢れ出す天使のクリーム。

もっと天使に近づけるように、一歩すすもうと思う。

折り返しの人生を少しでも素敵に。 アップルコブラーというスイーツが好きです! それを手に入れるためのものも好きです。。。