震災支援

津波に流された家の横にその桜は咲いていた。
その家族の笑顔をずっと見守っていた桜。

東日本大震災、その52日後、被災地への支援に名乗りをあげた。
その結果、家族のゴールデンウィークはなくなった。
放射能も、実は怖かった。

岩手県大船渡での医療支援チームの拠点は大きなコンサートホールだった。

そこには160名の避難者がおり、みんな家や家族、大切なモノを失った方々だった。

支援チームは医療支援だけに留まらない避難者の横のつながりをつくること、避難所のなかで1つのコミュニティーをつくることも自分たちの役割だと考えた。

阪神淡路大震災の時のエピソードが頭に浮かんだ。

当時、医療チームが仮設住宅に住んでいる高齢者や独居の方の訪問をしたいと考え、役所に世帯情報を確認しに行った。
役所からは教えられないと言われ、それなら手分けして全部まわろうということになり全世帯まわった。
そうすると高齢者や独居の方だけでなくイロイロ話が聞けて仮設住宅の問題がいくつもわかった。
「役所が全部教えてくれなくてよかったね。」となった。

そして、支援物資を配布する際、全てのものが全員にあたるだけの数が、送られてくるというものではない。
そこで『ビンゴ大会』を開催することになった。

そのお知らせをしたくて役所に印刷を頼みに行ったら断られた。
だったら自分たちでポスターをつくろうという話になり、仮設住宅の役員さんと一緒にワイワイ、ポスターを作り大変盛り上がり、信頼関係が構築された。
「印刷を役所に断られてよかったね」となった。

住民総出でのビンゴ大会は、一つのレクレーションにもなり、ケンカもなく、楽しく物資を配給できた。

人と人が手をつなぎ、地域を作る。
こんなこともしたかった。
自分たちの7日間では、その時間は与えられなかったけど、あのチームなら出来たと思う。

僕らは無料で診察して、無料で投薬していた。
地域の薬局は少しずつ開局してきていた。
無料で行うことで、地域の薬局は収入が得られない。自分たちの支援が地域の復興を妨げることにもなることも感じていた。

逆境をみんなの知恵と勇気で乗り越える。
これは私たちが勤める組織の哲学なんだろうなと思う。

地域で起きている困難な状況に勇気を持って挑むこれからのシゴトに活かしたい。

少しの支援を終え、北海道の東に戻った僕は、追い越された桜前線に追いついた。家の横の桜の木を家族で眺めている。

折り返しの人生を少しでも素敵に。 アップルコブラーというスイーツが好きです! それを手に入れるためのものも好きです。。。