四十年前のストリップ少年

笑い話?

A級小倉劇場、実は四十年以上前に一度行ったことがあるんです。はい

それも何と、ここの舞台で私は「少年」喪失したんです。ううっ、はい、初の(ピー自主規制)をさせていただきました。泣くも涙の、実は笑い話なのですが、気分悪かったら飛ばして下さいね。

その頃のストリップは、今はないだろうけど「(ピー自主規制)ショー」というのをやっていたんです。ステージに一人のお客さんを上げて、ダンサーの女性と本当の(ピー自主規制)をさせるショーです。ぎょっ!!本当の話です。もちろん、今やっている所は生き残れないです。もう存在しないです。

二十歳前の私は酒に酔ったまま友人に連れられ、訳もわからずA級劇場に連れて入れられ、気が付くとショーが始まってました。幕間で裸のお姉さんが降りてきて私に「寒い」と言うのです。本当に寒い時で、裸でかわいそうに思い私は着ていたコートを差し出しました。

すると、コートは着られてステージに上がってしまい、上がってこないと返さんと言うのです。ええっ! それは困る。

私は色々頼むのですが、どうしてもステージに上がったらちゃんと返すからと言うのです。

私がシブシブ上がりますと、観衆の見る前でお姉さんからゴムの(ピー自主規制)何と二重にはめられてしまいます。酔った私は何の抵抗もできません。言うがままなすがままです。二重にはめられる時、ゴムをビチッと言わせて(ピー自主規制)をはじくように着けられたんです。その痛いこと痛いこと。泣きそうでした。「少年」なんだから敏感なんだよ。(T_T)

でも、若いから(ピー自主規制)はちゃんと起立します。でもう、四の五の言わせず、とにかく強引にねじ込まれて(ピー自主規制)ゴムではじかれたばかりの(ピー自主規制)は、痛いのなんの、

私は「痛い❕痛い❗️おばちゃん痛い!!」とつぶやくのですが、既にそれはショーであり、観衆が見ているのでやめるわけにも行かなかったようで、しばらくごぼう洗いよろしくゴシゴシやられていました。もうムチャクチャ。。。

ほんの少しも気持ちのいいことはなく、痛いやら、恥ずかしいやら、情けないやらで、もちろんナニも出てこないまま。とうとうやっと舞台から下ろしてもらい、何とかコートだけは返してもらえました。とほほどうやって帰ったか覚えていません🤣

笑っていただけたでしょうか。あーあ、これが私の(ピー自主規制)喪失記であります。と言うわけで、散々こりて、その後四十年以上、私はA級劇場には行きませんでした。怖い怖い。

時が四十年以上過ぎ、知り合いのおばさんが言うには、ストリップの文化が風前のともし火で、見てきたら凄く素敵なダンスだった。もちろん裸にもなるけど、それ以上にダンスが芸術的に素晴らしい。芸術に関わる人は絶対見るべしと力説していたので、行ってみたのでした。そして今に至ります。

昔話で笑っていただけたでしょうか。今はもうあり得ないお話でした


追記。ここでA級小倉劇場と記したのは勘違いで、実は東洋ショーとか言う名前の、すぐ側にかつてあった、別のストリップ劇場だったようです。
若い頃はこの東洋ショーという名前を記憶していました。しかし今あるのはA級小倉劇場だけなので、名前を勘違いしていたと思い込んでいました。しかし古老と昔話をしたとき、東洋ショーという名前のストリップ劇場がA級小倉劇場のすぐ側にかつてあったことを聞き、あーやっぱり名前は記憶通りだったのだと判明したのでした。
古老が言うには、かどの屋という居酒屋の何件か東くらいみたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?