主婦を大学院から閉め出すのは、多様性の排除だよ

ストリップに関連した主婦が、大学院関係者から閉め出し主張を受けているとのTweetを見た。大学院はレジャーランドじゃないんだってね。

大学関係予算が国に削られ続けてるから、大事な研究者にだけ金かけ、余計なのは入ってくるなと言う主張、うーん気分的に発生するのは人間だから。しかしそれは、国の言うなりになって自分の首締めてることに気が付いて。

国が言うのは選択と集中。大事なものには金かけて、成果の出そうにない所には金やらない。そしてそれを選ぶのは国家。

主婦が大学院に入るなと言うのは、大事な学徒とそうでない学徒を区別、選択すること。あなたがやってる選択は、大事な者とそうでないものを分けることだが、それは国がやってるのと同じ事。

優秀な研究者に資金を集中して、雑多な者は入るなと、国と同じ事言っているのに気付いて。

今はあなたは選ばれた優位者だが、ひとたび基準が変わればあなたが蹴落とされる。その結果、良質な研究者が生き残れば良いのだが、その「良質」所詮は国の決めた選択。実際はひ弱で等質な良質者ばかり生き残り、ある時単一条件で絶滅する危険を孕む。
今、世界中のバナナはほぼ単一品種。病気が流行れば世界から一気にバナナが消えるという危機を孕んでいる。それと同じ。均質な社会は脆い。種の多様性が大事なのは生き残るため。

主婦が大学院に入るなという主張は、研究者の多様性を消せと言うに等しい。学問の多様性の自殺につながり、国家に重要な学問や研究機関を選択させると同じ思考法な事に気付いて。

ここでストリップに話を移す。その昔、SMやまな板が大はやりだった頃、全国何百とあった劇場はこぞって取り入れていたらしい。しかし風営法が厳格化されるに連れ、そうした興業は悉く取り締まられた。今生き残ってるのは芸術的指向。女性指向。それを思わせるじゃないか。

今踊り子さん達は、一人一人が独自独特な、世界に一つだけの舞台を作り続け、中には脱がないストリップすら出始めてる。こうした多様性は必ず将来のストリップ業界を救うと思う。将来規制の形が変わった時、こうした多様性の中からストリップが生き残る。

例えば今の主たるストリップ客の男達が、「脱がないなんてつまらない」と排斥すれば、将来のストリップを潰すかも知れない。スト客はそんな愚は冒さず、全ての踊り子さんを応援するだろう。そしてきっとストリップを生き残らせる。

大学関係者はどうするだろう。国の言う選択と集中の論理に盲従して、少ない予算を奪い合い、立場の弱い者を閉め出して多様性を排斥するのか?或いはそんな国を批判し、大学が連帯して国のあり方を変える道を選ぶのか。

国に立ち向かうのか、主婦に立ち向かうのか。どちらが恥知らずか。学問の自由と多様性を尊重しているかどうか、胸に手を当てる叡智を持つ者は、学問に携わる者か?或いはストリップ関係者か?

言いたい放題、乱筆暴言失礼致しました。何しろ私、学問的地位もなく、女性の裸に見とれてるだけの助平なんでね。口が滑りました。😁

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