せりなさんのマッチ売りの少女、見ての僕的な新解釈

小宮山せりさんに宛てた手紙に手を加えたものです。ネタバレにならないようにできるだけ工夫しました。以下の文面で小宮山せりなさんの舞台について触れてあるのは、彼女が満面の笑顔で、心から幸せそうにしていたと僕に感じられたという点、他二点です。しかし、セリナさんの演目を見るのに、余計な印象を入れたくなかったので、年明けまで控えていました。
もし問題あればご指摘下さい。

小宮山せりなさんへ ともし灯より
なんて素敵なクリスマス演目・マッチ売りの少女。マッチの火が暖かです。
 初めのうち、この物語は、しょせん幻でしかない少女のはかない夢、朝になると冷たい亡骸になる少女の運命と思い、どんな悲しい結末となるのか怖かった。
 でも、本当に心の底から、本当に心の底から、体中で楽しく満面の笑顔で踊るせりなさんの姿を見て、たとえ一瞬の幻でも、その中で本物の幸せを豊かにつかんでいると僕は感じた。
 そして、はかなく消えるマッチの火の中に幸せの幻を見る少女って、
おいおい!!!
はかない千円札をつかんでひとときの夢を見に来る、俺達スト客そのものじゃんか❗️そしてぼくらは劇場で本物の幸せという名の夢をつかませてもらってる。日常社会では得られなかったこのひとときの夢、まぼろし、灯りの中に、体中で喜んでる姿って、僕たちのストリップ劇場で拍手して笑ってる喜びそのものだよ!って感じた。
たとえそれがお金という幻想の中でつかめた幸せであっても、スト客のつかんだ幸せは本物です。そしてその幸せがあれば、天使のように白い衣に包まれて天に昇ることもできる。また、一月くらいはつらい日常の中を生き抜く勇気を持つこともできる。捨てそうになった自分を、後一日だけ、もう一日、次に推しの踊り子さんに会えるまではと、長らえる人もいる。
 これはマッチを買ってもらえず、ついに自分のあたためのために使ってしまった少女と何一つ変わらない。この少女の幸せは本当のもので、僕たちの劇場で感じている幸せと変わらない。
 ぼくはこの年になって初めて、マッチ売りの少女が、その本当に感じた幸せが、せりなさんの笑顔を通して見えました。あのマッチの火は、僕たちが差し出した千円札を、満面の笑顔で受け取ってくれる踊り子さんのぬくもり
、暖かさです。
他の所で誰かに千円札渡しても、プレゼント渡しても、手紙渡しても、大体迷惑がられるし、下手すると変態男とかストーカーとかって蔑まれ嫌がられるのが落ち。(ハイ、僕は経験ありますよ😢あんたもあるでしょ、そこの君!😁)それってマッチを買ってもらえない少女と全然おんなじ。でも、踊り子さんはちゃんと笑顔で受け取ってくれる。マッチの火で見えた明るい夢、本物の幸せという夢。

オープンだって、離れて世の中的に見れば、実に意味のない非生産的で、いやむしろ蔑まれすらする。あんなことにスト客達は千円札出して、たかだか3秒の夢を、笑顔を見て、踊り子さんを照らすライトが消えたら終わるだけのマッチみたいにはかない喜び……なのか?
はたしてそうなのだろうか?スト客はその一瞬に永遠の夢と喜びを見いだし、明日への活力を養っているからこそ、いや、死にゆく前の最後の夢を見る人すらいるのかもしない。
喜んで千円札を差し出して、踊り子さんは心からの笑顔で受け取ってくれる。踊り子さんは全身全霊、全力で磨き上げて手入れした麗しい宝を差し出してくれる。切なくなるほど懸命に。ありがとう、踊り子さん。ホントに拝む客がたくさんいる。僕もその一人だ。なんか時々嬉し過ぎて、切なくて泣けてくる。

たとえ僕が命尽きても、千円札握りしめたまま劇場前で事切れたとしても、きっと静かに笑っていると思う。マッチ売りの少女のように、心に満面の笑顔をたたえて。それを世間では哀れな末路と言うだろうか?スト客と踊り子さんは、良い最期だったと静かに見送ってくれるだろう。終わり

(私には当分先の話なのでご安心下さい。)

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