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1917を観る前の事前知識〜アルベリッヒ作戦について〜

来る2月14日。世間はバレンタイン・デーで浮き足立つ季節ではあるが、映画ファンにとってこの日はまったく別の意味を持つだろう。

と、言うのも。アカデミー賞作品賞は惜しくも逃したが、最有力候補だった映画『1917 命をかけた伝令』が公開するのだ。

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筆者であるmachiも、正直バレンタイン・デーも楽しみだが、それよりも何よりも1917を心待ちにしている。(この躍動感、この1カットだけでもう最高に気分が上がる。)


そして、この映画を観る前に「この話を知っておけばもっと楽しかったかもな〜!」と思いたくないmachiは、ここに1917の事前知識をいくつか示すべく、筆を取ったのであった。

※素人が簡単にまとめた備忘録なので、詳しい人は「ちょっと詳しくないのですが・・・」とか言わずに、優しさ10割増でDMしてください。


1.第一次世界大戦について

第一次世界大戦と言えば、第二次世界大戦の前哨戦とも呼べるような、呼んではいけないような、そんな戦争のことである。

1914年7月28日にスタートし、1918年11月11日まで続いた。これを記念して、世の中では「ポッキーの日」と言われている。(大嘘)

基本データは敢えて詳しく記述しないので、詳しい基本データを知りたい人はWikipediaをみてください。

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基本的には

連合国(強国そろい踏みのパーティ、国も多い)VS中央同盟国(ドイツ帝国とオーストリアと愉快な仲間たち)

の戦いで、これだけ見ると「え?ワンパンじゃないの?」と思うかもしれない。しかし、ワンパンどころか4年も続いているのだった・・・・。(百年続いた中世とかの戦争に比べるとワンパンなのかもしれない)

まあ、案の定負けてしまうわけですが、それでも、このパーティメンバーを見る限り、「ドイツ頑張ってんな!」と言う感じですよね。いや、実際には英仏が参戦した1917年4月5日までの西部戦線は、むしろ「フランス頑張ったなあ・・・」って感じなのだけど。

と、言うのも。ドイツ帝国は(この時代)普通にめちゃくちゃ強かった

「ぶっちゃけると、英国が最強だったんでしょ?」って思ってる人も多いだろうけど、英国の俺TUEEEEE!状態は、実のところ20世紀初頭では薄れつつあった。

「太陽の沈まない国」と言われていたけど、この辺りでは既にドイツとかアメリカとかが追いつきかけてる時代だった。まあ、それでも海軍とかは激強だったので、普通に強国なのは間違いない。(第一次世界大戦が、世界一の強国を米国にする流れに拍車をかけるのだけど、それはまた別の話)

で、だ。

ドイツ帝国がどれだけ強かったのかを少しまとめてみるとする。(数字が並ぶけど、テストには出ないのでサラッと見てください)

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単純に人口が多い上に、開戦時に準備ができている兵士の数が他と比べると100万人違う。その上、ドイツは質的な観点からも強かった。軍人も統率が取れていて強かったし、その上後方支援に使用する基幹施設などや、東と西をつなぐ鉄道なども整備されていた。技術的にも、人的資本的にも、ヨーロッパのトップクラス。ドイツクソ強い


2.西部戦線について

ここからは西部戦線の話。1917の舞台となる戦線ですね。

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ドイツは、この戦いにおいて敵に囲まれてる。西にはイギリスとフランスがいるし、東にはロシア様がいる・・・。これはひどい。開戦すると、当然ドイツはフランスとロシアを東西で相手取る必要がある。

ドイツは、「そいつはきついな」と思いました。そりゃそうだ。そこで、「シュリーフェン計画」と呼ばれる作戦を開戦前から練っていた。事前準備のできるドイツ先輩。

短期決戦でフランスを落とすと言う内容で、ロシアは強いけど、まあフランスだったら叩けるな、と思ったんでしょう。(実際に、時代は違えど、ドイツは電撃戦でフランスを制している。そう、WW2でね)

「シュリーフェン計画」から西部戦線に関する内容の物だけを抜粋すると、

・全軍の7/8をフランスに投入する。
・西部戦線を二手に分けて、主力の59師団をベルギーから侵入させて大きく迂回させ、パリの西側へと出す。
・残りの9師団がフランス軍と正面からあたり、挟み撃ちにする。

と言うもの。簡単に地図に落とし込むと、こう言う感じ。

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最小限の兵(9師団)でフランス軍を押し留めながら、その隙にベルギー(中立国、ここ大事)を通って全勢力でパリを制圧すると言う作戦。兵力に余裕があるが故の作戦で、多分普通に行けば成功していたでしょう。

ただ、フランスも「中立国(ベルギー)に攻め込むとは何事じゃい!」とガチギレ。

「17号作戦」で迎え撃った。それでもドイツが優勢だったが、9月6日のマルヌ河畔で起きた戦いで敗北。これが「マルヌの奇跡」と呼ばれていることからも、どれだけあり得ないことだったのかがわかるね。

そして、ここから西部戦線は泥沼化。いわゆる塹壕戦となった。塹壕とは、1917にも出てくる(と思う)アレだ。

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穴を掘って、地面を盾にしてしまい、(なんと銃弾にも晒されない!)比較的安全な通路もできて・・・と言う、アレである。そこからは、別名「海へのレース」とも言われるチキチキ!塹壕をどちらが早く掘れるかな!?大会が開始されるのだった。

まあ、そこは単純な話で、塹壕を回り込んで、敵の背後をつこうとする作戦と、それを阻止するために塹壕をどんどん伸ばしていく・・・と言うだけ。だけ、とは言いつつも、なんと西部戦線はイギリス海峡からスイスまでに至る全長750kmもある。日本の縦の長さが1500kmくらいらしいので、日本の半分。当事者からしたら、掘らなきゃやられるし、先は見えないしで吐いちゃうね。

そして、この膠着状態をなんとかしようと、火炎放射器、戦車、戦闘機といった殺戮兵器がどんどん投入される。いやぁ、ここが地獄か。

しかも、この兵器たちも戦況を変える一手にはならず、どんどん死者が増えていくだけ。1917年までのわずか数年で、何百人もお亡くなりになった。(おかげで士気もめちゃくちゃ低かった)

と、言うのも基本的には第二次世界大戦前までは防御側が優勢だった。(クラウゼヴィッツの「戦争論」などでも言われている)その上、塹壕戦では敵側防機関銃だったり、有刺鉄線が張り巡らされていたことで、さらに攻めづらかった。

この動画はオリジナルマップ(別に西部戦線に準拠したわけではない)の動画だけど、防御側ドイツがとにかく強いってことはわかるだろう。10倍のロシア兵だぜ。

ドイツ軍は、更に「防御ドクトリン」と言う戦術を使っていた。「防御ドクトリン」とは、

第一線をわざと突破させて、後方の主戦場へとおびき寄せる戦術。めちゃくちゃ有効な作戦だった。

と言うことで、基本的には防御側だったドイツ軍を破ることはできず、激しい戦いを繰り返しつつも、膠着したまま1917年になるのだった・・・。


3.アルベリッヒ作戦〜トムとウィルの最悪な一日〜

そしてここからが直接1917に関係する話。

とにかく、この膠着状態はお互いを疲弊させていった。長期戦は基本的には人も資源も枯らしていく感じなのだが、それが顕著だったのがドイツ側。基礎となる国力がやはり違う。

連合国側は、イギリス・フランス・ロシアの協商があったし、直接戦火を浴びていない国もたくさんあった。つまり、余力があったのだ。ドイツ軍もこれは恐らく開戦前からわかっていたので、短期的にフランスを制し、できるだけ短く戦争に勝とうとしていたのだ(と思う)。

ここで、参謀次長となったErich Ludendorffさんは考えた。ヒンデンブルク線に建設された要塞群まで後退すると。この要塞を発見したのが、英国の偵察機だった。(1917の説明にもあるアレです)

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そして、この後退作戦のことをアルベリッヒ作戦とした。1917年2月9日から4月5日に実行された作戦で、1947が描くあの一日は4月6日のこと。つまり、1947は、ドイツ軍が後退済みの、イギリス軍が追撃をかけようとしている・・・と言う戦局でのお話だ。

当初、この撤退作戦は連合軍側でも「ドイツ軍の疲弊によるもの」だと考えられていた。Erichも、戦線に多い凹凸を整理し、より効率的に防衛を行うための後退だとしていた。

と、言うのも、ドイツ軍は西部戦線での勝利にそこまで拘っていなかったらしい。Uボートの無制限潜水艦作戦の再開に期待がかかっていたこともあり、「負けなければいい」と評価されていたのだ。

そして、「負けなければいい」状況で、ヒンデンブルク線は最適な場所だった。逆に言えば、連合軍からすると、「更に勝ちづらい」状況になってしまった。

ドイツ軍が撤退した後の土地は、それはもうひどい有様だったようだ。

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まあ、土地を放棄する場合は、連合軍側に利があるようには撤退しないだろう(今回は、負けて逃走するわけではなく、ある程度余裕を持っての作戦だっただろうし)から、破壊のかぎりを尽くして去っていくのも肯けはする。

どうやらこの地獄を突き進んでいくのが1917のメインになるらしい(らしい)ので、少し詳しく書いてみる。

この現場を見たSeely准将は、

「家はすべて地面から1メートル内外に潰されており、木はすべて、大きいも小さいも関係なく、果樹や庭園も伐り倒されていた」

と言っている。ドイツ兵だったエルンスト・ユンゲル氏も、著作『鋼鉄のあらし』でこう語っている。

「ドイツ軍が退却した沿道の部落は、どの家も退却するドイツ兵の手でめちゃめちゃに破壊された。
住民が遺棄した婦人服やシルクハットなどを首に巻いたり頭へ載せたりして、大勢の兵が途轍もない熱狂ぶりで村を駆けずり回った。一つの家へ数人で駆けつける。だれかがその家の大黒柱を見つけ出す。すぐにそれへ綱をかけ、かけ声勇ましく引っ張って、どうでもこうでも引き倒す。大きな槌を振り回して、家の入口にある水瓶から、庭の温室のガラス張りにいたるまで、手当たり次第に壊して歩く。こんな調子で、ジークフリートの陣地までの部落は、徹底的に破壊された。道路の下には地雷を埋め、井戸には毒薬をぶち込み、川をせき止めて氾濫を起こし、地下室は破壊するかさもなくば中へ爆弾を設置し、貯蔵品や金属類はのこらず集めて運び去り、レールのネジをねじ取り、電話線をはずした。そして、のこしておくものはできるだけ火をつけて焼いた。こうして追撃してくる敵が当てする部落は、見る影もなく荒廃してしまった。」

鉄道や道路は使えないように掘られ、井戸が汚染され、建物は破壊され、地雷やブービートラップが大量に置かれていたのだった・・・。

と、言うのが(多分)1917が始まる前までのお話である。映画の内容に関して(多分)とか(らしい)がついているのは、machiが伝聞で聞いた内容から推察しているからです。


4.アルベリッヒ作戦の後はどうなるの?

この後はまあ、アメリカ軍が来たり、ロシアとドイツが講和を結んだりで西部戦線が更に白熱するのですが、それは映画の後の出来事なので、サラッといきます。

4月6日。アメリカ軍が本格参戦して来たことで、Erichも「まあ正直厳しいやろなあ・・・」と薄々気づいてしまう。

それなのに、ドイツがロシアと講和(ブレスト=リトフスク条約)したことで、西部戦線で戦争の最終決戦が開かれることになる。Erichはストレスで気が気じゃなかっただろうな。

連合軍側にはアメリカ軍(強い!)が

中央同盟国軍には東部戦線からの援軍(ここで思い出してほしい、ドイツ軍は圧倒的多数の兵力を西部戦線に割いていたことを!)が

到着。ドイツ軍も春季攻勢とか頑張りはするけれど、講和を結んでわずか8ヶ月後くらいには終戦となった。

5.西部戦線をもっと知りたい人へ

・西部戦線異状なし

言わずと知れた名作。西部戦線をドイツ側から描いている。見放題はU-Nextのみ。

・西部戦線1918年

1917の翌年。多分終戦が近い時くらいのお話。「西部戦線異状なし」より時間が短くてサクッと観れるけど、描写はキツイらしい。

・兵士ピースフル

とっても鬱映画。絵本が原作ってほんまか?心が元気な時に見てください

・ピエールとリュース

この文にピンとくる人は是非。「次の停留所では、大混雑だった。すでに満員の車内へ人々は叫びながら殺到した。ピエールは人の波にもまれ、押しやられたのに気づいた。円天井の上には、町の上には、上空には、鈍い爆音。列車は発車した。……車内では恐怖の叫び「独機が来たんだよ!」……彼の手は自分にさわっていた手をつかんでいた。そして眼を上げたときに、それが「彼女」だったのを見た。」

・彼らは生きていた

キツイ。こう言うのが一番みるべきなんだろうけど、machi的には一番心にくる

他にも、『ヘル・フロント ~地獄の最前線~』『ザ・トレンチ(塹壕)』あたりかな。

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三度の飯より映画が好き。映画自体も勿論だが、取り巻く環境やメイク、美術などの要素などにも興味がある。

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