辞めてもなお、『絶対アイドル辞めないで』

このnoteがめちゃくちゃ良かった。とてもなるほどだと思った。
(※ 2024/08/18 現在、削除されたため閲覧できません。)

でも僕は、『絶対アイドル辞めないで』が大好きだ。BGMで流れてきたこの曲を初めて聞いた時に、涙が止まらなくなったほどだ。

だから考えてみた。


まず、前提となる感情については、僕にも筆者に似た部分はある。

僕は『絶対アイドル辞めないで』が大好きだけど、同時に「アイドルを辞める自由が保障されていて欲しい」と心から思っている。自由に辞められらないんだとしたら、あまりに辛すぎる。
僕の好きなグループは、アイドルが辞めたいと思えば辞められるように見えるし、辞めた後のキャリアについても運営が親身になってくれているように見えていて、それはグループのとても好きなところだ。

でも。
そうやって辞める自由が保障されていた上で、辞めない選択肢を選んで欲しいと願っている。アイドルがグループを卒業する時に僕がよく抱く感情は、「彼女にアイドルを続けたいと思ってもらえるような環境を整えられなかった運営め」だ。アイドルは運営に感謝しているかもしれないし、そんな風に思うことを当のアイドルは望んでいないかもしれないけれど。


そしてこちらのnoteもとても頷いた。

僕は、ここで言うところの「自他境界」が結構曖昧なタイプだ。僕のことを言ってるかと思ったくらい。好きなアイドルに彼女が喜びそうな仕事が決まった時、「彼女が嬉しいだろうから」という理由で僕は嬉しくなる。そしてそれは確かに、僕はインタビューをくまなくチェックするタイプのオタクで、本当はそんなことはないのに、アイドルのことをよく知っているような感覚になっているからだと思う。

これは注意しなければいけないと分かってはいるけれど、でもしばしばそうなってしまう。この前もオタク仲間と話していて、僕が記憶していなかったアイドルのインタビューの情報(どちらかというと思っていたのと真逆だった)を聞いた時に、何でそんなことも知らなかったんだと大きなショックを受けた。そしてこのショックの大きさは、よく知っていると勘違いしていることの裏返しだと感じて大いに反省した。

僕は、アイドルのことを「よく知っている」と過剰に思い込んでしまうのはよくないことだと思うし、アイドルに対して「こうあってほしい」と過剰に思うのはよくないことだと思っている。勝手に偶像を作り上げて、その偶像と逸れていたらアンチになるようなオタクは問題だ。

ただ僕は、筆者より圧倒的にそう思ってしまう側の人間である。自分のそんな感情に罪悪感もある。でも、僕が抱いている程度の感情は肯定して欲しいとも思っている。つまりこれは自己正当化バイアスかもしれないけど、「良くない」の基準が筆者に比べて緩いんだと思う。


3年前、推しメンがアイドルを卒業した時に僕が号泣したのは、間違いなく「アイドルを辞めないで欲しい」という感情からだった。

でも僕は、彼女の今後の人生が幸せであることを願ったし、アイドルを辞めたいのなら辞めるべきだと思った。なぜならそれが優先順位第1位だから。
彼女には彼女の人生があり、そこに対してオタクはあまりにも無責任な存在だ。オタクの個人的感情の優先順位はあまりにも低い。

「アイドルを辞めたいのなら辞めるべき」という気持ちに嘘偽りはなく、僕は100%本気でそう思っていた。
アイドルの時には「目標がない」といつも申し訳なさそうに言っていた彼女が、辞めた後に「今年は目標を立てました」と綴っているのを見た時には、涙が出るほど嬉しかった。

彼女の選択を、僕は1ミリも否定したくない。
でもそれならば、あの時の僕の「辞めないで欲しい」という感情は、肯定されないのだろうか。
そんな僕の感情を救ってくれたのが『絶対アイドル辞めないで』だった。
僕の感情を肯定することと、彼女の選択を肯定することは、僕がその感情を彼女に押しつけなければ、両立するんだと思う。

ここで「押しつける」というのは定義がとても曖昧だけれど、少なくとも、今こうして僕がその葛藤と共にその感情を書いているのは、押しつけに当たらないと思っている。

そして『絶対アイドル辞めないで』という曲の存在も、押しつけに当たらないと思っている。
オタクは「アイドルがいつかは絶対にアイドルを辞める」と分かっているし、歌詞にも「これは報われないおとぎ話」だと書かれている。アイドルがアイドルを辞めることを否定しているわけではない。どうにもならない確定した未来に対し、それでも「オタクにはこういう気持ちがあるんですよ」と抵抗にもならない抵抗をしているだけなのだ。「その夢がアイドルじゃなくても覚悟はしてる」のだ。


そしてこの曲に救われたのは、3年前の僕の感情だけではない。今の僕の感情も救われた気がした。

僕は推しメンが卒業してから3年間、「好き」という感情が分からなくてずっと悩んでいる。
今も僕はグループを熱心に追いかけていて、ライブは今年もほとんどの公演に足を運んでいるし、メンバーのインタビューが掲載された雑誌はほとんど買っているし、メンバーが出演する舞台は必ず見に行くようにしている。
その熱は推しメン卒業後も加速しているくらいなのだが、ただ一つ晴れないのは、あの時の推しメンに抱いていた「好き」と同じくらいの「好き」という感情が自分の中にないことだ。

僕はそもそもこれが、程度の問題なのか種類の問題なのかさえ分かっていないくらいだ。今もグループには好きなメンバーがたくさんいるけれど、その「好き」の程度が足りていないからなのか、それとも「好き」というのは対象に応じて形を変えるものだから絶対に再現しないのか。僕が「汎用的な好き」だと思っていたあの感情は、対象の彼女特有の「個別的な好き」だったのか。もうあの「好き」という感情には出会えないのか。
そんな風に思うくらい、僕にとって彼女への「好き」は何にも代え難い特別なものなのだ。

幸い、現在彼女は半年に1回会える機会を用意してくれていて、それが僕の心の中に空いた穴を満たしてくれる機会になっている。彼女と話す時に湧き上がる胸のときめきよ! 今の仕事を頑張っている彼女の姿を見れることも、とても嬉しい。彼女が自分の人生を幸せなものにするために行う選択を、僕はずっと肯定していたい。

でも、あの頃のように、日常生活で彼女を感じることはできない。グループのライブにいくら通っても、そこに彼女の姿はない……。
どうしようもないその感情を、この曲は救ってくれた感じがした。


先のnoteの筆者は、その感情をせっかく否定していたのに、せっかく作っていた倫理のたががこの曲によって外されそうになることに嫌悪感を表しているように思われる。それは素晴らしい態度だ。
でも僕は逆に、その倫理のたがを外してくれて、この曲の中では僕の感情が肯定されて良かったと思った。

僕は「絶対アイドル辞めないで」と思っているし、アイドルにはそんな僕の気持ちなどおかまいなしに自由にアイドルを辞めて欲しい。
そして僕は、アイドルの選択を肯定していたいのと同時に、アイドルがアイドルを辞めた後もなお僕が抱えている『絶対アイドル辞めないで』という感情も肯定してもらいたい。


P.S.

ちなみに、この曲の歌詞の中で「星は街じゃ輝かないの」だけはかなり残酷だと思った。僕だったら絶対に書けない表現だ。
でも、ちゃんと自分の感情に向き合うならそうなんだとも思った。言い方は嫌だけど、アイドルである姿を求めてるのは確かにそうだと。
様々な強度の言い方を組み合わせることで、「アイドル辞めないで」という言説の多層性が感じられて深みが出るというか、この違和感はファン自らが加害性を省みる機会にもなると思った。
確かに僕はこの曲を聴いて自分の感情が救われたように感じたけれど、そこに全くの葛藤がないわけではない。しかしそれがまたこの曲の良い点だと思う。基本的には救ってくれているけれど、考えさせられる部分もある、そういうコンテンツが僕は好きだ。

なお、「星は街じゃ輝かない」という感情に100%は同意しない。確かに僕はアイドルである彼女の姿を求めているけれど、アイドルを辞めた後の彼女の姿も素敵だから。輝いているよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?