表現に感情がない
自分は元祖アサシンクリードと、2と3と4、オリジンズをプレイして、感動を受けたのは唯一の元祖だけだった。2は本当に楽しみにしていたのに、ストーリーと街の大きさだけ豪華になったのに、全く感情が動かない。全てにおいて、元祖の良かった点が失われていると感じた。
元祖には一つの作家性があったのに、2以降様々な力ある大人という諸悪の根源が、口出したとしか思えない。目的はあったと思う。売れるエンタメに仕上げるため、個人性の強いアルタイルより、感情移入しやすいエツィオにしたのだろう。
事実、エツィオ編は人気となり、三部作になっている。で、これを3年連続で出した。これはディレクションより、マーケティング的な考えだと思う。様々な思惑が重なり、こだわりが減り、凡作となったと思う。私がUBIを知ったのはps2のプリンスオブペルシャである。
昔の2Dゲームのリメイクで、これは本当に素晴らしいものだった。プレイ中に話す演出もアサクリのただ歩きながら情勢を話すとっ散らかった演出と違い、心情を吐露し、プレイヤーに感情移入させる優れた演出だったと思っている。ゲーム内容も当然素晴らしい体験だった。
しかし、2、3と強くかっこよくなったプリンスは魅力を失っていったし、ゲーム内容、演出も平凡になった。
最近ではウォッチドッグスがその流れをくんでいる。
では日本のゲームはどうか?
バイオハザードは1は革命的で、2はかなり面白い。3は駄作で4は革命、5は面白くなくて、6は駄作。7は傑作でRE2も傑作。RE3は凡作。
ゼルダは時のオカリナは傑作で、風のタクトは凡作、トワイライトプリンセスは駄作で、ブレオブは神作。
日本の作品に至っては、多くはディレクターの差であると言える。もちろんそれだけではないだろうが、UBIのように、1作目だけ作家性があり、感情があるのとは違う。そしてもちろん作家性があっても、面白かったり面白くなかったりする。
ディレクターの役割は決める事である。やりたい事があり、他者の意見でも素晴らしく、方向性のズレがなければ採用し、ブラッシュアップさせ、決めて、人を動かす。
UBIの2作目以降はこのディレクターのやりたい事では無く、様々な意見を取り入れすぎてる事だと感じている。
大きなプロジェクトで我を通すことはどの業界でも難しいと思う。評価と売り上げ、責任の場所を詰めていくと、尖ったところは丸みを帯び、株主に対して安全なことしか言えなくなる。
エンターテイメントが安全と安心を売ってどうするのか。食品に毒はダメだがエンターテイメントには毒も入れるし針も混入すべきだと思う。
ちょっと違うけど、UBIのゲームはシリーズを重ねていくと個性がなくなっているように思う。
でも作家性が高いゲームは売れないのかもしれない。製作費が高すぎる以上、多くの大作は凡作になるのかもしれない。
ウィッチャー3にゼルダブレワイ、ホライゾンとか大作なのにめっちゃすごくない?
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