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『魂の万国博覧会』の遊興

比婆山の物語


あるところに女がおった。

女は、どこから来たかも知らず、どこへ行くかも知らなかった。


あるとき、女は男に出会った。

男の名は、イザナギ。


イザナギは、女に恋をした。

女は、イザナギを受け入れた。

そして二人の子が生まれた。


子は男の子だった。


女はイザナギに、

「男の子は、十六になったら旅をさせねば。」

といった。

そこでイザナギは、

「それでは、山のむこうへ旅をさせよう。」

と答えた。


あるとき、女は天寿を全うした。

 

肉体を脱いだ女は、世の移り変わりを眺めてすごしておった。


そしてあるとき、こう思った。

「今度は、男になって旅をしてみよう。」


そこで、とある夫婦の息子として生まれることとした。

その息子の名は、恵瓊。


恵瓊は、元就の話し相手をしておった。


あるとき、恵瓊は敵軍に殺された。


肉体を脱いだ恵瓊は、世の移り変わりを眺めてすごしておった。


そしてあるとき、こう思った。

「このまえは仏教にふれたが今度は、キリスト教というものにふれてみよう。」


そこで、とある夫婦の息子として生まれることとした。

その息子の名は、ヨハネス。


ヨハネスは、ヒロシマを目撃した。


あるとき、ヨハネスは天寿を全うした。八月六日だった。


肉体を脱いだヨハネスは、以前の話し相手だった元就がアイドルに興味を持っていることを知った。

「それでは、いっしょにやりましょう。」

といって、さっそく準備を始めた。


そして、とある夫婦の娘として生まれることとした。

その娘の名は、ユカ。


比婆山の物語 完


活動体


活動体とは、機能の束縛の異名である。

活動体とは、恐怖の遊興の異名である。

活動体とは、暦の束縛の異名である。

活動体とは、好奇心の遊興の異名である。

活動体とは、過去の蓄積の異名である。

活動体とは、感動の体験の異名である。

活動体とは、未来の期待の異名である。


活動体 完


過去


活動体は、過去を蓄積する。


過去とは、交流の経験の異名である。

過去とは、創造の経験の異名である。

過去とは、奇跡の経験の異名である。

過去とは、尊重の経験の異名である。

過去とは、横暴の経験の異名である。

過去とは、冒涜の経験の異名である。

過去とは、破壊の経験の異名である。


過去 完



活動体は、今を創造する。


今とは、感動の体験の異名である。

今とは、物語の創造の異名である。

今とは、日常の体験の異名である。

今とは、神話の創造の異名である。

今とは、奇跡の体験の異名である。

今とは、交流の創造の異名である。

今とは、奉仕の体験の異名である。


今 完


未来


活動体は、未来を期待する。


未来とは、日常の持続の異名である。

未来とは、循環の持続の異名である。

未来とは、企図の表現の異名である。

未来とは、平安の無視の異名である。

未来とは、横暴の受容の異名である。

未来とは、冒涜の受容の異名である。

未来とは、破壊の受容の異名である。


未来 完



この文章は、『魂の万国博覧会』で登場する活動体の活動について考察したものである。

『魂の万国博覧会』の理解の一助のために記す。


三次元地球の余韻のときに記す。


〆 完


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