和歌山ジェノサイド記録③阪中俊文と菅田将暉

3人目は、「阪中俊文」だ。

阪中俊文とは、中学生のとき、
1年10組で同じクラスだった。
身だしなみを当時の流行りっぽく、少し整えているが、
大人しいイメージで口数も少ないが、ちゃんと仲良しの男子もいる人だった。わたしは、テスト用紙を配ったりするときに、一言二言しか、
しゃべったことがない。
お互い口数が少ないと仲良くなりようもない気もする。

そういう意味では、精神年齢が幼く、口達者な、甘えん坊な男子と
会話が続いた記憶がある。
そういえば、
王家血筋の子たちって、口数が少なく、身だしなみを整えていて、
大人しい子たちが多かったかな。常識的というか。
人が嫌がることを言わないし、悪目立ちすることをしないというか。
王家血筋なら、家庭でいろいろ問題を抱えていただろうに。

口下手で人の話ばかり聞いたり、
合いの手を打つタイプのわたしであっても、
もう少し、勇気を出して、口数の少ない常識的な男子たちとお話をしてみたかったなと少し、後悔する。

俳優の「菅田将暉」を初めてテレビで観たとき、
どこかで見たような、デジャヴのような感覚に襲われたのは、
「阪中俊文」と昔、出会っていたからだ。
セーラー服のわたしの左斜め後ろの席だった。

1年10組は、特別な角の部屋で、
窓ガラスがパノラマの磯辺の風景を写し出して、教室内に水道の蛇口が並んでいた。特別に広かった。
黄金オレンジの夕陽が空から山を降り、海に滑り込んでいくのを、
当たり前のように、わたしらは見つめていたのだった。
そんなユタカな景色が見える教室など二度と巡り合えないのに、
当たり前の喜びにはしゃいでいた、あの日。

菅田将暉

人間モールドの菅田将暉も「スガ」という文字が入っているから、
阪中俊文も、鷲山泉や、わたしと同じ「スガ」家系の遺伝子だったのだと
思われる。

当時、「マサキ」という名前も、同級生に多かった。
それも暗号で、王家あるいは宇宙刑事の暗号解読者たちだったのだろう。

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