同じネクタイが3本? マカピーな日々#0615
マカピーです。
マカピーは基本的に仕事場に行くときはネクタイをしています。
はっきりは聞いていませんが、服装の決まりはないのですがTシャツ、ジーンズ、サンダルでもおそらく誰も文句を言う人はいません。
実際に研究所の中でであう若者たちはそんなカジュアルな服装が多いです。
マカピーは「馬子にも衣裳」というやつでネクタイを締めると、オフィスにいる間だけでも緊張しているような気になれるからいいのです。
夏ともなり、さすがにジャケットは着ませんが。
マカピーには、自分の両親くらいの先輩がいました。(ご想像の通り、すでに故人です)
ケイイチロウさんとはフィリピンでお会いし、その後家族ぐるみで親しくさせていただきました。
彼は元銀行マンで日本人離れした彫りの深い容貌に、マカピー妻は「トラップ大佐」と呼んでいたのは、風貌が映画『サウンドオブミュージック』のトラップ大佐役クリストファー・プラマーに似ていたからでした。
ケイイチロウさんはニューヨーク勤務が長く、とても優しい物腰の博学な方で、鎌倉山のお宅には家族でよく遊びに行くと英語の書籍がびっしりと階段の両側の壁を占めていていて驚きました。
更に入りきれない図書は半地下の部屋を改造して、引退後はそこに籠りきっりで調べ物をしていたと奥さんのキコさんが言ってました。
ケイイチロウさんの晩年は自分のルーツを研究して、自ら瀬戸内の「村上水軍」の末裔と称していました。
「やあやあ、我こそは天下にその名を知られたる、村上水軍のケイイチロウであるぞ!」とまだ年端もゆかないマカピー長男にケイイチロウ・ジージは口上を聞かせていました!
もう一人はサダオさんで、マカピーよりもマカピー妻がバンコクで知り合った方でした。当時彼は農業の指導者として国際機関で働いていたのだそうです。
マカピーが結婚してタイのコンケーン(東北タイ)のサダオさんの家に行くと歓待してくれて、仕事場の農業大学内をいろいろ案内してくれました。彼はポルポト時代前のカンボジアでも活動していた方でした。
海外の活動を辞めた後では、マカピーの母校で講師を務めていたのですが大病を患いお亡くなりになりました。
日本滞在中にマカピー妻がそれぞれのお宅を訪問しました時の事です。
偶然にも「ネクタイがあるのだけど、捨てるに忍びない。気に入ったものがあれば現役のマカピーに使ってほしい」という未亡人の希望で、ケイイチロウさんとサダオさんが使っていたネクタイをそれぞれ5本ほど貰ってきたのでした。
マカピーは頂いたネクタイを一目見て、タイ・シルクの「ジム・トンプソン」の製品であると分かりました。
そして、その中の一本はマカピーも持っているデザインでした。つまり偶然3人が同じ柄のネクタイをしていたんですね。
マカピーはそのネクタイを締めるときに、自然と気が引き締まるのでした。
「さてケイイチロウさん、サダオさん、一緒に仕事へ行きますか!?」
そして自問するのでした、「マカピーは先輩に恥ずかしくないたち振る舞いができているかな?」
マカピーです。
最後までお読みいただき感謝します。キリリと締めればみなぎる力!
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