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マカピーな日々 #0035

マカピーです。

前号では写真にヨルダンのスイカとメロンの写真を載せたました。意外なとことかも知れませんが乾燥地帯での農業は水さえあればかなり良い品質の作物ができます。

その理由の一つはなんといっても抜群の日照量です。次に乾燥しているので病気の原因となる菌が繁殖できない(ウイルス防除にはなりません)それから温度の差があります。温度計に最高最低温度計というのがあるのをご存じでしょうか?アルコールの動きで水銀の表示を動かし一日の温度の動きが分かるものです。一般に果物や野菜の実の糖分が多くなるのは生育期この温度差が大きいほうが良いとされます。つまり夜は温度が低いほうが呼吸量が減りエネルギーを蓄える事ができるからです。

砂漠で収穫されたメロンなどはかなり甘いです。もちろん当たりはずれはありますが、最盛期ともなれば道端で一つ100円足らずで買えるので果物好きなマカピーとしてはうれしい限りです。

メロンの中で最高級と言われるのがハミウリです。その昔、楊貴妃や中国皇帝にも献上されたというメロンです。この流れをくむメロンがウズベキスタンにありました。

マカピーは今までにあれほど美味しいメロンを食べたことがありません。ウズベキスタンは首都タシケントでも冬の温度がマイナス20℃、夏の気温はなんと50℃を超えます。

マカピーは日本から持って行った寒暖計がある日、その表示が全部赤くなっているので壊れたかと思いながら、下の玉の部分を指で触っていると、どんどん温度が下がってきて50℃超えが本当であったことがわかったくらいです。

ウズベキスタンではそんな熱い夏でも乾燥しているから全く不快感なしで気持ちいいのです。日本の夏が暑苦しいのは湿度が高いことにあるのですね。でも注意が必要なのは乾燥しているので自分の体内からドンドン水分が蒸発している事に気づかないのです。そうです脱水症状になりやすいのです。

脱水症状を起こしている事さえ気づかない日本人観光客が冷やしたスイカやメロンをパクつくとどうなるのか?ものすごい下痢を起こすことがあります。地元の人はいきなり水分補給をしません。まずチョイと呼ばれる熱いお茶をすするのです。つまりチビリチビリと水分補給するのが基本なのですね。「急いては事を仕損じる」とはこういう事なんですね。

町のいたるところにチョイ・ハネと呼ばれる喫茶店があるのです。またタプチャンと呼ばれる縁台が活躍するのもこの時期ですね。涼しい木の下にタプチャンを出してそこで寝転ぶのは最高です。そのまま夜の睡眠をとる人もいます。

そもそもウズベキスタンの民家は60㎝もある土塀でできています。更に冬場の暖気が漏れないように天井裏には河原で刈ってきた葦を編んだものの上に泥を乗せるのです。つまり土蔵の中に暮らしているようなものだったんですね。ところがそこに地震が起こると悲惨な事になります。

1966年の地震は首都を半壊させてしまいました。記事には10名の死亡とありますが、当時を知る人と話したら「町中死体だらけだった」と語っていました。つまり土蔵のような家がゆさゆさ揺れてつぶれるとそのまま土饅頭が出来上がってしまい中の人が圧死してしまうのでした。当時は鉄のカーテンと呼ばれた情報の壁があり東側からの情報はすべて加工されて西側に伝わってきたので仕方なかったわけです。(米国はかなり詳しく地震の被害状況を知っていたと言われますが、知らないふりをしていたようです)

当時のウズベキスタンはソビエト連邦の共和国だったのでクレムリンの指示で急ピッチで災害復興の集合住宅が建設されます。細い鋼鉄の柱に工場で作られたコンクリートパネルを張り付けるだけで9階建てのアパート群があちこちに出現したのでした。いくつもの団地群の壁面には当時のスローガンがモザイクで描かれています。なかなか素敵なデザインでタシケントにある3系統の地下鉄のホームのような雰囲気がありました。

もっとも、次に同じような地震が来たらあの工法のアパートだとすべて崩壊してしまうだろうとも言われています。マカピーも大きな近代的なアパート建築の工法が余りにも杜撰なのでそのアパートに入る度に怖くなったくらいです。

ウズベキスタンだけではありません、造山活動の活発な天山山脈の西端にある「スタン」国々やイラン、トルコなどはしょっちゅう巨大地震に襲われている場所です。まあマカピーたちにはどうする事も出来ないですがね。

皆さん、いろいろ学んで人生を楽しみましょう。

マカピーでした。

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