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「利根川東遷」って何だったの? マカピーな日々#0790

マカピーです。
目の前で子供が車に轢かれそうになったらアナタならどうします?

最近、投稿に行政に関わる記事が多くなるのは、マカピー自身がウクライナ問題やCOVID-19に影響されているせいなのかと思うマカピーです(笑)

さて、沖縄の基地問題では、基地拡張でサンゴの海が埋め立てられてしまうのに反対する人に対して「対案もなしに文句言うんじゃない」的な批判がありました。

でも極めてシンプルな話なんですよね。

だって美しいものや大切なものが失われると思ったら誰だって「やめてください!」って叫びたくなるじゃないですか!

それって人間の本性なのに、「ええ?じゃあどうしろっていうんだい、お前さんは?代替え案もなしに文句言うんじゃないよ!」って言われたら、それって脅しですよね!

基地問題だけでなく、公共事業に関わるダム建設や道路拡張工事でも自分の家がつぶされたりするケースは歴史的に多くあります。

最近興味があった利根川の東遷では、秀吉に関東を任された徳川家康が早々と洪水対策として東京湾に流れ込んでいたのを東へと引っ張って行き霞ヶ浦の出口などと合流させて銚子までつなげる大プロジェクトをしています。

更に内水面輸送を担う江戸川を作ったので産業が生まれました。

野田醤油(キッコーマン)などがその例で鉄道網が発達するまでは水路を利用した運搬が大切だったので、洪水対策との調整が微妙になされたことがわかります。

東京の下町もかつては海だった場所にお濠をめぐらし物資はそこを利用した高瀬舟などによる水運だったそうです。

今では、首都高速道路がその水路の上を走り、公園や一般道ができているのですから、先人たちの遺産によるところが多いのがわかります。

そもそもマカピーの住んでいる埼玉県北部は利根川と県境を接して東は江戸川で仕切られているので、その様子が良く分かるのでした。

前述したように、江戸幕府は営々と巨大な堤防を作り洪水対策をしているのですが、それが完成するのには最近のことで、あれから300年もかかったのだそうです。

そもそも群馬や栃木の山間部から流れ出てきた水が平野部に来ると急に流れが緩やかになり氾濫しやすくなる地形がマカピーの住んでいる利根川流域なんです。




そこに1783年浅間山の大噴火による降灰が流れ込み、河床を押し上げたので大洪水が発生したわけです



洪水対策をする事は江戸を守るだけでなく、各種の水路灌漑用水の整備や築堤工事など公共事業が幕府命令で実施されました。

この利根川東遷は公共事業であり、地域住民を駆り出す使役でもあり、更には土地利用の地図が目まぐるしく変わることを意味していました。

耕作地を失った人もいたでしょう。

マカピーは群馬出身ですから、都会の産業を支えるための電源や水源確保の名の下に沢山のダムが建設されました。

最近は民主党政権時代一時工事中止となり物議をかもした八ッ場(やんば)ダムが完成しています。

もう、人口も頭打ちになったし水もそれほど必要なくなった都心へ送水する意味があるのか?と言われながらも造っちゃったんですが温泉地も吾妻峡の景勝も消え住民も移住させられたわけです。

何で、あれほどの犠牲を強いなければならなかったのか?

そこには「利根川東遷」とは違う、なんだか政治的なきな臭さを感じるのでした。

サンゴ礁の埋め立てもそうですが、バイパス道路建設などで「うまく開発をまぬがれた場所」が後に観光のメッカになったりするものです。

「建設ありき」で開発するからおかしな議論になるのでしょうかね?

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。かつて「日本列島改造論」ってのがあった!



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