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ショーイダンって何? マカピーな日々#0116

マカピーです。

今日は広島に原爆が投下された日ですね。

広島(ウラン型)と続く9日の長崎(プロトニウム型)と種類の異なる原子爆弾で沢山の命が失われ15日には終戦となるのですが、空襲は原爆投下以降も続いていたとマカピーの両親は話していました。

もはや米軍のB29爆撃機を迎撃できる戦闘能力を持たない日本は、各地が標的にされ焼夷弾の雨が降り注ぐのでした。

マカピーの群馬の実家は幸運にもその直撃をまぬがれ家の前後にある畑にはたくさんの焼夷弾の小弾が地中に刺さっていたそうです。


マカピーが家族と実家を訪ねると、父が当時の回収された焼夷弾の筒を見せてくれました。六角柱状の筒で中にマグネシウム化合物やナフサなどの可燃物が入っていたとのことです。

父から手渡された焼夷弾の筒をを手にした息子はしばらく何も言わずにじっと筒を握ってみていました。

この筒は小弾で、落下前は大きな塊が空中でばらけて落ちてくるとのことでその模様は映画「火垂るの墓」などにも出てきます。

アメリカ軍は日本の建築構造が木造であるので焼き払う事を目的にこうしたナパーム弾を開発したといわれています。

マカピーが仕事で滞在したベトナム戦争でも使用されています。そこでは猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤を投下してジャングルを消滅させようとしたほどです。

ベトナムのホーチミン市にある戦争博物館へ行くと米軍の戦略などがわかるとともに沢山のジャーナリストも亡くなっていることが分かります。

日本人でピューリッツアー賞を受賞している沢田教一や一ノ瀬泰造の紹介もあります。

二人ともマカピーが後で滞在することになるカンボジアで1970年、1973年に亡くなっていますね。

そしてこのカンボジアでは1993年にポルポト後のUNTACの選挙導入の活動をしていた中田厚仁さんや文民警察の高田さんも命を落としています。

マカピーはプノンペンにあるウナロム寺院にある中田さんの慰霊碑を訪ねよく尋ねました。「中田さん、今は平和になったのかなあ?」

マカピーは中田さんがかかわった選挙の仕事をプノンペンでしたのでした。そしてなんと同僚は中田さんと一緒に国連ボランティア(UNV)として活動した方で不思議な縁があったようです。

縁と言えば、学生のころビデオショップで借りてきた映画「キリングフィールド」を幼友達と一緒に見てあまりのショックに涙が止まらなかったのですが、まさか後で自分がカンボジアで仕事をするなんて思いませんでした。

マカピーはこう思うのです。

平和を研究するのよりも、まず目の前の事を自分で知ろうとすること。

「なんで?」って思ったら、またさらにその奥を探ってみる。マトリョーシカ人形のように「入子」が現れても、一つ一つ読み解けばエニグマもいつかはわかってくるだろうって。

ある日いろいろな事がつながって見える事があるんです。

コロナ禍で海外旅行が難しくなったけど、もちろん楽しむことも必要です、同時にその場所の歴史も地理も少し調べるととっても面白いだろうなあ、直ぐにわからなくてもいいからいろいろアプローチしてみるのは素敵な時間の使い方だと思うんです。

もっともお金にはならないだろうけど、生きてゆくことの糧にはなるとマカピーは考えます。

皆さん、ショーイダンの実物を見たことがありますか?それは75年前普通に空から降ってきたんですって。

マカピーでした。


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