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マカピーな日々  #0032

マカピーです。

相変わらずのコロナ禍ですね。東京でも30人を超える新規患者が発見されたとかニュースをやっていました。

マカピーはこう考えます。おそらく新型コロナウイルス(COVID-19)は根絶されないのだから、インフルエンザや結核などと同じように、大流行させないように付き合ってゆくしかないってことではないでしょうかね?

さて、他のニュースで「赤ちゃんポスト」の話題がありました。コロナ禍で収入が無い中おなかの赤ちゃんを堕胎してしまう恐れのある女性がたくさんいる現実問題です。

一方で新生児を引き取って育ててくれる新しい家族もいるという希望も知りました。英語ではAdoptionになりますがマカピーが身近で知ったのは米国が最初でした。

米国のアイオワ州の酪農場で実習生として1年滞在してた際に、高校を卒業したばかりの跡取り息子のロブのところに、娘を連れてきて数学を習させているご夫婦がいたのです。

娘さんは確かに高校生でしたが、どう見ても御両親が年配者に見えました。ホストマザーのノーマジーンが教えてくれました。「あの娘さんは彼らの実の子供ではない養子(Adopted child)なのよ。彼らの子供たちは成人して既にそれぞれ家庭を持っているの。でも彼らはまだ誰かのお手伝いができる体力があるからとあの娘を自分の子として育てる事にしたの。見てわかる通りあの子は学習障害があるのよ」

それはまだ若かったマカピーには衝撃的な事でした。自分の血のつながっていないハンディキャップをもった子供を自分の子供として育てる事なんて、将来的にも自分には到底できない事だ!

その老夫婦は教会関係者でした。ノーマジーンはそのバプティスト教会の日曜学校(Bible school)の先生もしていたので、英語が不自由ながら私も日本からギデオン協会の新約聖書を取り寄せて聖書を学ぶふり?をしました。

マカピーがキリスト教の寛大さのようなものを知ったのはそのころだったように思いますが、その地域は有色人種がほとんどいない農村地帯でしたから同じ米国と言っても都市部や南部の黒人系やヒスパニック系の住民が多い地域での宗教観とは違っていたとは思います。

次にびっくりしたのがネパールでの事でした。私の子供が仲良しのジーの事を「ジーはAdoptedなんだって言ってたよ。Adoptedって何?」「ふーん、ジーがそう言ってたの?」「ジーのお姉さんもそうだって。でもアニーはそう呼ばれるのが嫌なんだって言ってたんだ」「なるほど。ジーもアニーも一緒に暮らしているお母さんから生まれなかっただけで、スミス家の家族だよね。お父さんもお母さんも素晴らしい人だしなんの問題も無いよね」「うん、わかった。僕はジーの友達で変わらないよ」「そう、それでいいんだ」

実は全く別々の時期に、英国人夫妻の勤める診療所の前に置き去りにされていた男の子と女の子がジーとアニーでした。この夫妻は自分の子供として二人を育てる決断をしたのです。その後地元の学校でジーと息子は親友となるのでした。

この4人家族の血縁というのは全くないのです。夫婦の遺伝子を継いでない子供を教育して、成人するまで育てる事がどんなに大変な事なのか、マカピーはネパール以降もこの家族と付き合っていますから良く分かります。

Adoptionの行為は決して経済的に豊かであるからとか、奉仕精神とかではないもっと大きなものをマカピーは感じました。そこまで献身的になれる人は勿論日本にも大勢いる事でしょう。中東にもアフリカにも東南アジアでも無償の寛容さを実践する人々の姿にいつも畏敬の念を覚えました。

マカピーはマザーテレサが存命だったころ、インドをバックパッカーで旅行していました。ひょんなことからカルカッタの「死を待つ人の家」でボランティアをする事になり、それ以来、ネパール、カンボジアで、ザンビアで日本の東京の西新井でマザーテレサの教会の人と出会う事になるのですが、不思議な縁を感じるのはなぜでしょうかね。

今、米国では警官による黒人虐待事件を発端に抗議運動が全米各地で繰り広げられています。暴力に暴力では憎悪が繰り返されるばかりです、一方で素晴らしき寛容の心を持った皆さんの事を考えると、どうか世界が平和で幸あれと願わずにはいられない気持ちになるのです。

マカピーでした。 

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