「幸福行きの切符」を入手して(1)マカピーな日々#0560
マカピーです。
突然ですが、南アとは関係なく 2019年8月のブータン王国旅行記をご紹介します。
少し長いのでいくつかに分割してお送りします。
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ヨルダンの首都アンマンからイスラムの大祭イードを利用して2019年8月10日から15日までブータン王国を訪ねてきました。
私たちが出国すると、秋篠宮家(長男と両親)が夏休みを過ごされたとかで日本でも注目度が一時的に高まったあの国です。
さてブータンといえば皆さん何を思い出されるでしょうか?
ヒマラヤ山中の仏教王国、ドテラみたいな民族衣装(ゴ)を着るハンサムな国王、青いポピー(ケシの花)、国民総幸福(GNH)一位の国 それから入国にかかる費用が高く旅行が難しい国。マツタケが採れる国、農業開発でブータンに貢献した日本人、ダショー西岡(西岡京治氏)などなど
以上の質問に関しては全て下記の書籍が詳細に解説していますのでご一読をお勧めします(笑)
この著者、平山さんは日本GNH学会会長、GNH研究代表幹事というブータン研究の第一人者です。そしてマカピーのいた会社の同僚でもあったのでした。
今回ブータン王国を旅行出来たのは、現地で仕事をしていた友人夫妻の「招待枠」を使わせてもらったから実現しました。
これはブータン旅行が高額の滞在費となるので、家族呼び寄せなどに特別の査証(ビザ)を国が発給するもので特殊なケースです。
ブータン旅行情報は「地球の歩き方」やこちらの情報もどうぞ
//www.wbf.co.jp/bhutan/info/country.php
ブータンに関してはこれまでJICA(国際協力機構)の専門家や青年海外協力隊員だった方たちからいろいろ耳にしていましたが、近隣のネパールに5年間滞在したこともあって同じような地形、民族だろうと頭で理解したつもりですが、現実はまったく違い「百聞は一見に如かず」でした。
ではまず幸福行きの旅路の様子から
中東ヨルダンからの経路はこうでした(参考にならないのですね!)
アンマン(ヨルダン)、ドーハ(カタール)、カトマンズ(ネパール)そしてパロ(ブータン)と結構時間のかかるフライトとなります。
到着したのは首都ティンプーでなはくパロという首都のある隣の県でした。
カトマンズからフライトではエベレストを中心とするヒマラヤ山系が見えるはずでしたが厚い雲に覆われて見ることができませんでした。(帰路ではエベレスト周辺が数分間ちょこっと見えました)
何時まで経っても雲海の中に期待する神々の座と呼ばれる山脈が現れないので仕方なく機内誌にあったヒマラヤの山々を解説した写真ページを窓枠にはめ込んで「まあ、こんな風に見えるものかな?」と見ていたら、何やら背後に冷たーい視線を感じました。
振り返るとマカピー妻があきれ顔見ていたのでした。
マカピー妻:「さっきから見てたけど、一体何を馬鹿なことやってんのよ?」
マカピー:「あ、ほら、その、なんというか・・・窓からヒマラヤがこんな風に見えるだろうなって・・・」
そんな自分の無意識の行動をうまく説明できない事って皆さんもありますよね? ね?
感動するフライト
ブータンの滑走路が地形的に非常に短いためドュリュク航空は英国製ジェット機を利用していたのは昔の話で、現在は小ぶりのエアバスでした。
かつてカトマンズの空港ではお馴染みのドラゴンマークながら旅することなく、自分には無縁かと思った機体に初めて乗りました。
インドのニューデリーからカトマンズ経由の機体には乗客の半分以上が白人で占められていました。
やがてパロ空港に近づいたらしく、機体が高度を下げると山脈にある狭い谷間に突っ込んでゆくのでした。
どう考えてもこんな谷に入るということは、やり直しの利かない恐るべき航路と思われ、この先に本当に空港があるのかと不安になります。
谷は狭くなり両側の山肌にある民家の様子がハッキリ見える空間をすり抜け、最後には急角度に右旋回してタッチダウン(着陸)するスリル満点のフライトでした。
後で空港に出迎えに来てくれた友人に聞きました。
「毎回あのフライトを経験して怖くない? マカピーは最終コーナーのバンクした際に傾斜したから窓の向こうに川と田んぼが見え、ジェット機でこんなランディングするんでもう死んだかとおもったよ!」
ところが友人は「いや、もう慣れちゃったしねー」と全く意に介していない様子でした。慣れとは恐ろしいものです。
気候と民族衣装
空港のあるパロも首都ティンプーも大体標高2,300メートルもあるので、盛夏のはずなのに夏なのにとても涼しい!
友人宅に泊めてもらったのですが、その庭にリンゴが実るこの時期、雲がたなびいていてまるで高原避暑地の雰囲気です。
更に標高が高いせいなのか、飲んだビールの効きも良いので経済的ですね!
夏が快適ということは当然ながら冬になると寒くなります。しかも国民の多くが公務員なので、大概あのドテラのようなゴと呼ばれる民族衣装で出勤するのです。
なんと伝統的?には下着をつけないらしいです。
それに黒のハイソックスをはいて、ゴを切る際は襦袢的な内着の襟や袖口の返しが白く出るので、なるほど友人の出勤時の着付けを見たのですが
「おお、かっこいいぞ!」
でも、ゴの上には更なる防寒着を羽織れないそうなので、冬ともなるとスカート状の裾からの寒気に縮み上がるそうです。
友人はもっぱら「ヒートテック」のお世話になっていると言っていました。
(一方の女性は着付けも異なる、手織りで刺繍の素晴らしいキラと呼ばれる衣装を着ることになります。手の込んだデザインはまるで芸術品)
土日ともなると街中の人はカジュアルなジーンズ姿でいる事も多いのですが、平日は民族衣装着用率は飛躍的に高くなるというより、義務らしいのです。
学校の生徒の制服のゴもそのパターンや色でどこの学校かすぐにわかり、とっても面白いです。
国技といわれるアーチェリー
アーチェリー競技をやっているというので、それを見にティンプーのスタジアム横にある競技場に行ったのですが、週末にもかかわらず、そこでは競技者全員がゴを着ていました。
どうやら、オリンピックで見られるようなアーチェリー用の服装はなく、正式な衣装は運動であろうがオフィス事務であろうがゴに限るようです。
もっとも暑くなると着物のように両袖を外して日本の武士のように腰だめにしています。
彼らの使用する弓は日本の弓道で使う弓よりも小さな竹製の弓矢でした。
2チームに分かれて双方の的の間隔はかなり距離があり、おそらく80m以上あったように思います。
あんな、玩具のようなちゃちに見える弓で、遠くの的を射ることができるのかしら?
ここは由緒あるアーチェリー場なので、射撃場のように安全のための土塁が双方の後ろに控えています。
その前の地面に羽子板を大きくしたような木製の的を置き、周囲に選手団はたむろしているのです。
相手方の矢が飛んでくるというのに、危なくない?
見ていて分かったのは、お互いのチームに規定数打を射る競技のようです。
正面からだと相手の矢が飛んでくるのがよく見えるらしく、矢の到達地点付近から逃げる人はいません。
ちょっと無理していない?
マカピーの立ち位置からでは、飛翔している矢は速いのでほとんど見えません。地面にいきなり矢が刺さったところで、初めて分かるほどです。
マカピーは弓道をしたことがないので、映画など中世の戦闘シーンで矢が飛ぶ様子を思い浮かべましたが、実際をみると正直スポーツというよりやはり根本は戦争の道具なのだなあと感じました。
ガツン、と運よく?羽子板の的に当たると、その場で選手団が全員で歌いながら喜びの踊り始めました。
え、 踊っちゃうの?
日本の弓道のように姿勢を正し精神統一して放つ矢でなく、構え方もそれぞれであの距離の的を狙うのだから滅多に当たらないようです。
だから試合の途中でも踊り始めてしまうのか、ブータン国技は何とも面白いものでした。
それを見ながら隣で友人が「地方では酒を飲みながらアーチェリーをやるもんだから、毎年幾人も矢に当たってケガする人がいるんだって!」
「やっぱりね。あれじゃ、気を許したとたんに事故がおこるわな。酒を飲んでいても、あの矢で射貫かれたら痛そうだなあ」
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。世界から見れば日本の相撲も相当不思議な競技なんでしょうね!?
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