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ラナリットさんの訃報で思い出した事 マカピーな日々#0604

マカピーです。

先日カンボジア王家出身の政治家ラナリットさんがフランスで亡くなりました、享年77歳。

カンボジアではポルポト時代終結後に実施された初めての総選挙で、彼の率いるフンシンペックは第一党となりフンセン首相とともに一時は国を二分する勢力までになったラナリットさんでした。

マカピーも2018年カンボジア滞在中のころ、選挙前に交通事故に遭い九死に一生を得る重傷を負いましたが、同乗していた奥さんが死亡するという痛ましい出来事がありました。(当時その事故の不自然には色々な噂が立ちました)

ご本人はタイへの緊急輸送で一命をとりとめて、政党は彼の不死身ぶりをアピールしましたが、復活して政治の舞台で活動できる余力は残っていなかったようでした。

さて、時代はさかのぼって2000年頃のプノンペンでのことです。

マカピーはマカピー妻の友達で映画「キリングフィールド」で助監督をつとめたクメール人女性と一緒に、行きつけのフランス・タイ料理店「TOPAZ」に行きました。

今でこそ、プノンペン市内には沢山のレストランがありますが当時はほんの数件しかなかったのです!

<加茂シェフにフランス政府功労賞!!>  プノンペンのフレンチレストランLa...

Posted by プノン(Phnom) on Thursday, November 30, 2017


彼女は元夫が日本人ということもあり、日本語もおそろしいほどペラペラです。その時も「久しぶりに会ってご飯でも食べよう!」という食事でした。

水祭りのころになると里帰りでプノンペンに帰って来るのでした。大概は当時のシハヌーク国王にご挨拶する際に、国王の大好物であった「日本の富有柿」を届けてご機嫌伺していたと言っていました。

おそらく、彼女自身が王族系出身だったと想像できますが、ドラゴンボート競技のある水祭りには国王から「お前は私の隣に座って見物しなさい」と言われ特別観覧席に日長一日座るのが苦痛でならなかったとも。

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さて「TOPAZ」の二人のフランス人シェフの奥さんは、タイ人姉妹だったので、タイ語を話すマカピー妻はすぐに友達となり、いつもメニューにない特別な料理を注文していました。

特に彼女たちの母親が厨房にいるときは、絶品のタイ料理が食べられるのでしたし「きょうのおススメはこれよ!」という料理に間違いはありませんでした。もちろんフランス料理も!

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クメール友達:「見た?入り口に護衛官がいたんで聞いたら、この店に今晩はラナリットが来てるっていうじゃないの」

マカピー:「なんか問題なの?」

クメール友達:「あいつは昔から嫌いなのよ。ここで顔を合わせたらいやだなー」

マカピー妻:「しょうがないじゃない!プノンペン市内には、まともなお店が少ないんだし、どうしても顔を合わせちゃうわよ。彼もフランス語でシェフと話をするのが楽しみなんでしょう」

マカピー:「でも、車は一台だけだね」

クメール友達:「ラナリットってそういうところを気にしないのよね。一人で酔っ払って車を運転して帰るのよ。まあフンセンみたいに、いつでも襲撃を受けるとは思ってないんだろうけどね。あっちは四六時中、沢山の兵士で守らせていて気が休まらずに大変だわね」

と、まあ物騒な時代ではありました。

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当時はプノンペンにインターナショナルスクールが二つありました。

チョイスが少なかったこともあり、マカピーの三人の息子が通っていたインターナショナルスクールには、各政界のトップの子弟が通っていました。

フンセン系、ラナリット系、サムレンシー系とライバルに加えて、麻薬密輸の噂の絶えない金持ち商人の護衛官のいる車が子弟を送ってくるのですが、学校の入り口では「校内は火器持ち込み禁止」の札があり、護衛官は懐からゴロリと拳銃を預けていました!

おお、本当に拳銃を持ってんだ!!!

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政治を目指すことでシハヌーク国王に対して「皇室を継がない」と決めたラナリット殿下が亡くなるまでの20年間の時の流れをいろいろとマカピーなりに思い出すのでした。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。ラナリットさんゆっくりお休みください




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