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南アのトカゲで「城崎のヤモリ」を思うマカピーな日々#0674

マカピーです。

2021年8月、本来の赴任地である南アのダーバンが政情不安だったのとCOVID-19の影響もあり、マカピーは首都プレトリアで待機していました。

マカピーが滞在するゲストハウスの中庭に2二匹のトカゲがいました。

午前中彼らはひなたぼっこをするために石垣の間から出てくるのでした。

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南アの8月は早春といった感じです。特に標高1000m以上ある内陸部のヨハネスブルクやプレトリアのあるハウテン州は春の到来が遅い感じでした。

安全上の理由で戸外の道路を利用できないマカピーは、毎日ゲストハウスの中庭を複雑なコースをとりぐるぐると回って結局トータルで5㎞くらい散歩をしていました。

そこでトカゲの夫婦と出会ったのです。というか、おそらく「つがい」だろうと思われました。

植え込み近くの小径をマカピーが行くと、彼らは早春の気候で寒いのか、石垣の上に出て日向ぼっこするのです。

そこへマカピーが頻繁に彼らの前を通過するので、そのたびに石垣できた穴に潜り込んで、マカピーの姿が消えると、またはい出してくるのでした。

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マカピーはその姿を見ていてフッと昔読んだ志賀直哉氏の『城崎にて』の一節を思い出したのでした。

つまり、あのちょっと驚かそうとポイと投げた石に運悪く当たったヤモリが死んでしまい、「無常」を感じるという場面です。

(実はこの投稿文はずいぶん前に書き始めて中断していた原稿を改めて書き足すことになったのです)

それで「城崎にて」のnote投稿文他に触れてわかったのは、いまだに現代国語ではこの作品を扱っているってことでした。

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よく考えてみると、数十年にわたり同じ題材を教材として扱うってすごいと思う反面、時代ごとの解釈の違いなどあるかという疑問が残りました?

まさか、そんなはずはないだろうと思いながらも、諸行無常の世界では言葉の持つ意味も変わってくるかも知れないのです。

そこでマカピーは歌手でもあり作家でもある、さだまさしさんのトークで、彼が『山椒魚』で有名な井伏鱒二さんと出会って、大いに酒を飲んだエピソードがあったのを思い出したんです。

そこで、さだまさしさんはオリジナルでは穴から出られなくなった山椒魚が蛙を閉じ込めてしまう話の結末を作者の井伏さんが変えてしまった理由について、文芸関係者も尋ねることが出来なかったことを、さらりと直接聞いてみたら「だって、蛙がかわいそうだから」と言ったというのです。

あれ?ちょっと、ちがったかな(苦笑)

いずれにしても、マカピーは「ああそれもいいかもね」って思うのです。

だって、このnote記事だって変更可能なんだもの!

おかげで、スマホ入力で投稿した昨日の記事を訂正することができました!(苦笑)

昨日の学生ストライキ事件で学園封鎖になってしまったのですが、今朝、運よく同僚たちの協力を得てPCを回収できました。


その後で研究員のファイズさんと研修会場へ出かけたのですが、休み時間に彼が先日雨の日にサンダルが滑って階段から転げ落ち「死ぬかと思った」とスマホで自撮りしたお尻の大きな痣を見せてくれました。

え、インド人のファイズさんのお尻?

さすがにリョウコさんがいないところでこっそり見せてくれたのでしたが。

更に、他に肘や脇腹も強打したとのことで「人間こんなことで簡単に死んじゃうんだよね」「そうそう、マカピーも先日そこの排水溝に落ちて、そう思ったよ」

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なんだか、いつもは面白くないと思っていたファイズさんと意気投合した瞬間でした!!!

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。話してみるといい奴だ!


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