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マカピーな日々 #0041 家族の一員

マカピーです。

前回はネコのお話でした。今回は犬にしますね。マカピーの実家では物心ついたころからいろいろな犬を飼っていましたね。殆ど雑種でしたが番犬でしたから犬小屋の前に繋がれたままで自由がなくふびんに思っていました。

将来は犬が自由に走り回れるところに住みたいなあ。マカピーはそう思っていましたが、結婚してフィリピンで暮らし始めて長男が生まれる前に我が家の一員となったのがハロハロでした。黒い犬小型犬の雑種でその後、イエメン、ネパール、カンボジアと一緒に暮らしました。

マカピーの子供たちはみんなハロハロから寝返りを習いました!家の中に飼っていたので文字通り一緒に暮らしていたのです。フィリピンでは裏庭までコンクリートで覆われていたので地面が殆どありませんでしたがその後からは庭がある家に住み、犬はかなり自由に走り回る事ができました。首輪が必要だったのは散歩の手綱をつなぐ必要があったからで、なぜかしら我が家の犬たちは手綱のロープをみると散歩に行けるものと狂喜していました。

パスポートもなしにいろいろな国を渡り歩いた犬たちも、残念ながら10年歳以上になると衰え始めますね。ハロハロは乳癌でカンボジアで亡くなりました。長男が一番ショックでその日は学校に行けませんでした。

ハロハロと重なってネパールから加わったのはジャーマンシェパードのマナで、カンボジアとウズベキスタンを共に過ごしました。帰国する直前に老衰で亡くなってしまいましたが、マナは気立ての良いとても優しい犬でしたね。

マナと交代するようにウズベキスタンで加わったのがゴールデンリトリバーのレディでした。彼女は5つ星ホテルの総支配人の家族の犬でホテル最上階の特別室からエレベーターに乗って散歩に出かけるお嬢様でした。ホテルのレストランでもかなりの大食いだったらしく体重が50㎏を超えていました。

ところが支配人家族が別の国に赴任する際に、どうしても連れて行くことができない事になり引き取り手を探していました。ある日レディが前の家の隅でつながれてしょぼくれていました。それに気づいたのは息子で、実は支配人の長男と彼がクラスメートで、ホテルに泊りがけで一緒に宿題をやったりしていたからだったのでレディを知っていたのでした。

レディはいったん隣人宅に引き取られたのですが、先住の2匹の小型犬と乱暴に遊んだらしくそこの犬が骨折してしまったらしくマダムに嫌われてしまい不遇をかこっていたのでした。

我が家には年老いたマナがいたのですが、「じゃあマナが嫌じゃなかったらうちのおいてもいいよ」と連れてきたら、マナは雌同士でもあまり関心が無い風で喧嘩をする様子もなかったので我が家の犬となったのでした。

後でレディの予防接種などの書類をもらうと、品評会で1位の賞状も混ざっていました。そのせいなのか大型犬のマナとレディの二頭でタシケントの住居周辺を散歩に行くとかなりの注目度がありました。「クラシーバ(きれいね)」と声がかかると何故かしら、レディはピシッとポーズをとって立ち止まるのでした。ヤレヤレ。

レディは次にザンビアのルサカに移動するのですが、途中南アフリカの検疫関係のトラブルで乗り換えのフランクフルト空港に3週間留め置かれるという事態になりました。本来だと息子と一緒に来る予定だったのがヨハネスブルクに立ち寄るだけで南アフリカ農業省発給の証明書を事前に取得する必要があったのでした。

まるで人間と同じような宿泊?料金でフランクフルト空港の業者が世話をしてくれました。こちらもその間、南アの農業省宛に送金して証明書を発給してもらいそれをDHLでフランクフルトへ送付するなど対応に追われました。

マカピーはようやくルサカの空港に無事到着したレディを見たときにはホッとして腰の力が抜けるようでした。その後、レディは朝方の散歩で綱を放しているところに乗用車に当て逃げされる事故に遭ったり、近所のロトワイラー二頭に襲われて体中に噛まれた裂傷を負うなどよく入院していました。

4年間住んだザンビアの仕事が終了する前に、私の次の国での仕事が決まっていなかったので息子の一人がカナダのバンクーバーで引き取る事になりました。彼はウズベキスタン時代一緒に暮らしていたのでまた一緒に暮らしたかったのでした。

バンクーバーでのレディは時々、カクッとよろけるので息子が獣医に連れて行くと肺がんがかなり進行していたのでした。結局彼女は2か月ほどでそこで亡くなってしまうのですがトルコ生まれでウズベキスタン、ザンビア、カナダと12年足らずの命を全うしたと思います。

大好きだった犬たちの事を思い出すとどうしても涙腺が緩みます。

マカピーでした。



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