じゃあ日本人の歩き方ってどんななの?マカピーな日々#0558
マカピーです。
中国人が世界中の隅々に行くようなってから「日本人か?」と聞かれることがなくなったのは、一体いつのころからだったでしょうか?
バックパッカーも少なくなったし、そもそも日本人の若者を海外で見かける機会が減っているように思います。
マカピー息子たちはそもそも日本で育たなかったので例外として、息子たちと同じくらいの年齢である甥や姪に尋ねても「外国に興味ない」と一様の返事が返ってきます。
そして、「あ、今度に遊びに行ってもいいかな」「うん、もちろん。歓迎するよ」「一人で行くのもなんだから、友達と一緒に行こうと思うんだけど・・・」「沢山は泊まれないけど二人くらいならいつでもOKだよ」
こうした会話の後で、結局はだれも来たためしがない。
曰く「友達の都合が悪くなって・・・」「最近あったテロ事件で怖くなって・・・」
そこへゆくと、マカピー世代以上は案外簡単に「今度○○月に伺うけどヨロシク!」的な気軽さがある。そして決めたからには、多少状況が変化しても決行する。
この違いは何でしょうかね?
世代だけでなく、時代による海外旅行への考え方も変わったようです。
マカピー妻が随伴家族として海外で生活をする講習会に参加して、その日あった珍事を説明してくれました。
マカピー妻:「海外生活が長いっていうマダムが、自分の経験をとりとめもなくいろいろ言うのよ。でも私が驚いたのはそこに参加している人がみんな真剣にメモを取ってたってこと!」
マカピー:「そりゃ、君のように海外で活動してきた人はすくないだろうしね」
マカピー妻:「それにしたって、取り立てて海外だからっていう話じゃなくて、日本にある常識的なことばかり教えてんのよ!」
マカピー:「皆さん、最初の海外赴任で緊張しているんだと思うよ」
マカピー妻:「それで、決定的だったのが(道路の渡り方)ってのがあったのよ」
マカピー:「え? どういうこと? 右を見て、左を見て、もう一度右を見て手を上げてわたろうよ!っていうアレ?(笑)」
マカピー妻:「それが、そうだったのよ!しかもそのマダム講師が言うのよ。さあ、皆さんここで実際にやってみましょうって」
マカピー:「で、きみもやったの?」
マカピー妻:「絶対無理って思ったけど、雰囲気を悪くするのも悪いから他の人に混ざって実演に付き合ったわよ」
マカピー:「ご苦労様でした」
それから一年ほどしたフィリピンのマニラでのある日のことでした。
マカピー妻:「今日アヤラ博物館からでて、通りを渡ろうとしたら日本人の団体が私の後ろに続いて出てきたのよ」
マカピー:「道を尋ねられたの?」
マカピー妻:「それが違うのよ。どうも私をフィリピン人だと思ったらしいガイドがなんて言ったと思う?『道路を横断する際には気を付けてください。このように現地人がいる場合はその後についてゆくのがいいでしょう!』だって!」
マカピー:「そういえば、ずいぶん日焼けしたね」
マカピー妻:「あんたって人は!!!」
さらに時が流れてベトナムの首都ハノイ。
マカピーはいつものコーザイのバス停で降りて仕事場のある研究所に向かうのでしたが、陸橋の隣で横断歩道のない大きくて交通が複雑な交差点を渡るのにいつも苦労していました。
経験上車もバイクも猛スピードで抜けるわけではないので、幽霊のようにソロリソロリと歩けば、なんとなーく向こう側にたどり着くのは分かっているのです。
その朝も「さてどうしたものかなあ」と見渡すと、おばあちゃんが道を渡ろうとしていたのでした。
シメシメ、このばあちゃんの後に付いてゆけば、注目度が高いから安全に横断できるぞ!と、おばあちゃんのすぐ後ろに立ったのでした。
ところが、次の瞬間、マカピーの存在を確認したばあちゃんはマカピーの手を握って「さあ、行きましょう」とあごをしゃくったのでした。
やっぱりジモチーであるハノイのばあちゃんの方が一枚上手でした!
結局、マカピーはばあちゃんを手を引きながら「オラオラ!おばあちゃんが見えないのかい!轢いちゃだめだよ、ちゃんと見てくれよ!」と空いている方の手を振りながら車とバイクの洪水を渡り切ったのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。日本人の歩き方があるのかしら?
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