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マカピーな日々 #0037 ビンビン

マカピーです。

先日テレビで布団を丸ごと洗うコインランドリーのサービスが紹介されていて「コインランドリーも進化して、ついにここまで来たか!」と驚きました。

海外で暮らす際に寝具は気になるものです。まずベッドのマットレスの硬さが重要です。柔らかすぎると腰を痛めますからね。次にリネンですが大家さんが気を使ってくれてしっかりした枕やシーツもあると助かりますね。カンボジアでは暑苦しかったので抱き枕は必需品でした。日本でも流行っているようですが、これからの時期マカピーも欲しいなあ。

枕の中身はスポンジだと熱を持つのでだめですね。それから、そば殻を使うのは日本だけですね。材料を利用する発想はすごいですが最初は耳元でそば殻が擦れる音に慣れるのに苦労するかもしれませんね。東南アジアではパンヤと呼ばれるカポックの実からとった綿を使いました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF

カポックは日本のアオギリのように緑色した幹に、緑色の枝を水平に伸ばす木で遠くからも一目でわかる大木になるのでマカピーが大好きです。この木に実がつくのですが紡垂型つまりラグビーボールのようなのがぶら下がるんですね。これが熟すると乾燥して落ちてくるのですが、中身に綿状の繊維にくるまれた粒粒の種があります。地元の人はこれを利用していたんですね。

カポックは和名でそのものずばり「ワタノキ」です。この綿(パンヤ)は撥水性があるので昔の救命胴衣(ライフジャケット)の材料とされていたそうです。タイタニック号でも利用していたのかも知れません。そして枕のワタとしても汗を吸わないので重宝したらしいです。日本へはぬいぐるみの中身としてパンヤが利用されていました。

このカポックとは違い通常の綿製品の原料の綿がとれるワタは一年生の植物ですね。マカピーが5年ほどいたウズベキスタンは世界第2位の輸出を誇っていましたが、聞けばソ連時代にアメリカの大恐慌の影響を受け綿花が入手できなくなり困ったクレムリンが命じて中央アジアの共和国に強要して綿花栽培させたともいわれています。

本来中央アジアの国々は降雨量が少ないので、ライムギができる程度の乾燥地だったのに、アラル海に注ぐアムダリヤ川とシルダリア川の水を利用して灌漑用水路を網の目のように張り巡らせ綿花生産させました。

この商品作物の大転換により無理な灌漑で塩類障害がおこり、更にアラル海が干上がってしまう人類史上稀にみる暴挙と言われているは、以前お話した通りです。

さて綿入り布団はいろいろな国で使われていますが、マカピーが暮らしていたころはネパールも日本と同じように綿の敷布団が利用されていました。

ネパール人の多くはアーリア系の顔つきをしている人とモンゴロイド系の日本人に近い顔つきの人がいます。更にバングラデシュ人などかなり肌の色が濃い人たちもいるのですがこの人たちが二人組で肩に担いだ大きなギターの様な物の弦をビンビンしながら住宅地を歩いているのに出会いました。

身長以上もあるような一本弦の楽器ってあるのかな?彼らの音楽ってどんなだろうと想像していたある日、その光景に出会いました。

彼らは布団打ちと呼ばれる、使って「せんべい布団」となった中のワタを打ち直す職人だったのです。ビンビンと弦を鳴らしていたのはお客さんに自分たちの到来を知らせる音だったのです。楽器ではなかったのです。

依頼人が声をかけると、庭や広場で大きな布を広げます。そこに布団の中身を出すと、大概ボソボソした塊となっています。そこで登場するのがビンビン弦です。これを塊に付けてビンビンするとワタがちぎれて飛ぶのです。人の手を使うよりもこうして弦を利用して繊維をほぐしてやりしばらく天日で干すとワタが空気をはらんで元気に復活するのでした。

2年ほど前にカトマンズを訪れたのですが、かつてのように街中をのんびりビンビンさせながら歩く職人たちの姿には出会う事はありませんでした。マットレスが普通になってしまった今日では廃れてしまったのでしょうか?

マカピーにとっては面白い風景だったのですが、途上国では民俗学的博物館などで当時のそうした技術などを保存・記録するところまでなかなか手が回らないのが実情ですね。

マカピーでした。



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