僕って何なの? マカピーな日々#0113
マカピーです。
三密を避けて久々に東京へ出て4人での会食がありました。
そこでマカピーは気付いたことがあります。
だれもが「自分て何なのか?」ってつねに考えているんだなあと感じたのでした。皆さんはどうでしょう?
マカピーは60年安保の若い世代の爆発的なエネルギーが世の中を変えようとした時代を体験していません。三島由紀夫の割腹事件もただ怖いものだったし、あさま山荘事件も知ってはいましたがただ「事件があった」程度の事でした。
三島由紀夫に関してはコロナ禍が始まるころ、映画館で記録映画をみて本当に面白い人だったんだなあと実感できたのでもう一度彼の作品を読みたくなりました。
三島と東大のディベート映像を見た時に、あれこれ思い出したのでした。
何が正しい事なのか、自分とはどんな存在なのか中学生の頃から沢山の疑問をかかえながら生きてきたように思います。
もしかすると、マカピーがnoteに書き続ける理由はそこにあるのかも知れません。
「南こうせつとかぐや姫」というグループのミリオンセラーに「神田川」というのがあります。マカピーは仲間と大きな声でこれを歌いながら、大人になったらあんな世界が待っているのかなあと淡い思いがありました。
その将来に対する不安、政治に対する不満、自分に対する不信いろんなものがないまぜになった頃が「青春」だったのかなあとあのメロディーを聞いて当時の事を思うのです。
体制に対して自分は迎合するものか!
他人の意見をうのみにしないぞ!
そんな青い思いがないまぜによみがえってきて、ちょっとこそばゆい感じになります。
そして、そうした経験や時代をくぐりぬけることが、大人へのイニシエーションだったのかと今にしてみればそれでよかったんだなあ思います。
夕食会で現代の若者たちも同じ気持ちなんだと分かった時、安心しました。
つっぱったり、でっかい大ぶろしきを広げたり、なんでも言っちゃえばいいんです!
アリやミツバチといった集団生活する昆虫に面白い集団がいるそうです。つまりブーラブーラしていて働かない連中がいるらしいのですが彼らは淘汰されることなく集団に寄生しています。
彼らの存在意義とは何なのか?
実は天変地異が起こった際にそれまでのやり方では太刀打ちできない世界が生じた際に力を発揮するのだそうです。つまりスペアとして生きているのには意味があるというのです。
ヨルダンでこんな話を聞きました。
米国留学を終えた来た長男いるのだけど、将来を嘱望された若者は帰国すると毎日ボーっとして何もしないのだそうです。最初は家族も、友達も「いったい何があったんだろう?」とふしぎにおもうのですが、彼のお父さんが言いました。
「いいじゃないか。一人ぐらいそんな人がいたって」
マカピーは人生とはなにか生産的であるべきだと思っていました。それこそが生きたあかしとなるのではないかと。
何かしなくちゃいけない。
みんなに認められなくちゃいけない。
それって自分は誰か人の視線のために生きていないだろうか?って。
人間は墓に入るまで悩み続けるという人もいます。だって脳は勝手に常にいろいろな事を考え続けている機能を持っているからですが、どうせ悩むなら面白いことを考えたいですね。
マカピーでした。
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