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待つ身は長-い。マカピーな日々#0203

マカピーです。

ずいぶん前の事ですが家族5人の写真が日本経済新聞に掲載されたことがありました。

どうやらイエメンから一時帰国して成田から再出発する際に行楽シーズンだったので乳飲み子をつれて海外へ旅行する家族として被写体になっていたのでした。

イエメンに戻ってくると、商社駐在員の友人からその写真のある日経新聞紙面を見せられて「小さな写真だけれどお宅の家族だって直ぐにわかったわよ!」

見ると確かに私たちでした。

結局イエメンは内戦ぼっ発で滞在が1年でしたが、三男が生まれた思い出深いところです。

そしてイエメンには青年海外協力隊員を含めて日本人が50名ほどしかいなく、それ以外は大使館員と商社の方くらいしかいませんでした。ですから皆さんと仲良くさせていただきました。

じつは、マカピーにとって住友商事、三菱商事、伊藤忠商事といった方と家族ぐるみでお付き合いするのは初めての経験でした。

イエメンはムスリムの国ですから禁酒で持ち込みもかなり厳しく、空港の検閲で酒瓶を没収された話はよく聞きました。

それでも時々みんなでテニスや水泳をした後などで食事会があり招待されると、こちらの国では入手困難な日本食材やビールなどが提供され感激しました。

後で聞くと、駐在員家庭には定期的に生活援助物資が届けられていたのだそうです。マカピーの同僚や青年海外協力隊員にはそうした福利厚生的な援助はありませんでしたので、なるほどなあと思いました。

もっとも首都サナアは標高が2200mほどある高所だったので、ビールを一缶飲むと酔いの回りが早かったのでした!

マカピーは「なんで、資源の少ないイエメンに商社の方が滞在しているのか?」と不思議に思っていたので、ある日商社マンに尋ねました。

「そりゃあ、石油が出た時にいち早く契約が結べるように!」と答えが返ってきました。サウジアラビアとの国境がはっきりしていないのですが、どうやらそのあたりに石油資源が埋蔵されているとの事でした。

だからその日まで「待っている」のだとも。うーむ、他の理由はなさそうだったので本当だったんでしょうね。

そこで思い出したのが、ミャンマーの似た話でした。

ノーベル平和賞を受賞しながら長らくアウンサンスーチーさんが自宅監禁されていたころ、沢山の日本の商社の人々が首都ヤンゴン(ラングーン)に滞在していた理由は「民主化されたらすぐに仕事ができるようにスタンバイしている」のでした。

でもいつまでたっても民主化が進まず、商社マン同士して毎晩麻雀卓を囲んでは情報交換していたとも。

話は変わりますが

東工大の先生の研究室を訪ねた際に面白いこと言っていました。

「最近の学生は実験をしていても研究室にいないんです。自動計測装置をセットしたらテニスに行っちゃうんです」「何か問題があるのですか?」

「実はこちらとしては、学生に電気的な変化が起こる瞬間をしっかり観察してもらいたいんですよ。ところがそうした観察できる学生は留学生ばかりです。日本人はどうもそういう観察に向いていないのです。留学生がいなくなったら僕の研究室はオシマイです」って。

ある商社マンも学生も同じなのでしょうか?

「待つ身は長いんですよ。本当にその日が来ないうちに帰国するのかな?って不安になることもあるんです。ガマンくらべみたいなところがあって半分やけくそみたいに待っているところもあるんですよ」

という、一人の商社マンの言葉を思い出しましたが、それって今のマカピーの置かれている状況と似ていないかな?

海外での仕事がなかなか決まらない、でもコロナのせいにしていられない状況でさて、どうしたものか「ガマンくらべ」も限度がありますからね。苦笑

マカピーでした。

ここまでお時間を割いて読んでいただきありがとうございます。毎日投稿をつづけていますので引き続きお読みいただければ嬉しいです。






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