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パッションフルーツ奇譚 マカピーな日々#0381


マカピーです。

ベトナム滞在中の事でした。

日本から来た客人にマカピー達が毎日食べている、パッションフルーツとヨーグルトにチアシードを朝食に出したところ、「久しぶりにパッションフルーツが食べられて、うれしかったわ」と喜んでくれました。

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その言葉に気をよくしたマカピーは、食後のコーヒーを飲みながら彼女に自分のパッションフルーツとの思い出話をしました。


一番最初の出会いは、マカピーが高校時代読んだ團伊玖磨さん(だん・いくま 作曲家・エッセイスト)がその著書『パイプのけむり』の中で彼の八丈島の別荘で実ったパッションフルーツを食べるくだりが印象的だったのです。

すると彼女は目を見開いて、びっくりしてこういうのでした。
まさしく彼女が最初に食べたパッションフルーツとは
その團伊玖磨さんの別荘でだったのだそうです。


その奇遇に、話を披露したマカピーもびっくり。
なんと彼女は團伊玖磨さんの妹と知遇を得てその後、仕事もご一緒にすることになり、誘われて伊玖磨さんの八丈島へ行ったのだそうです。(團さんがパイプのけむりを連載するのが1964年で八丈島に仕事場をつくったのはその前年)

ご存知の通り、團伊玖磨さんは木下順二の歌劇『夕鶴』で有名ですね。
マカピーは中学生の頃、この「夕鶴」の主役「与兵」役を与えられて張り切ることになったので、團伊玖磨という名前を憶えたのでした。

もっともこ突然『赤い蝋燭と人魚』に変更され、マカピーは「爺さん」役でヒロインとの絡みが消えてガッカリでした思い出もありましたが。


次にパッションフルーツとのはじめての対面。大学の資料室にあった標本でした。そこにはカラー写真もなく白黒の図と乾燥して真っ黒に変色した「恐竜の卵」残骸状態で、とうてい食味を想像する事は出来ませんでした。

ただ和名の「クダモノトケイソウ」(果物時計草)が強く印象に残りました。


そしてついにパッションフルーツを口にしたのはマレイシアででした。
酸っぱいけれど、とても良い香りだったのでマレイ語名の「マルキッサ」と言う単語を覚え、更に一人旅でインドネシアのスマトラ島のトバ湖周辺でパッションフルーツ・ジュースのあまりの美味しさにいつか自分でも栽培したいと夢見るようになりました。

そして念願の自宅でのパッションフルーツ栽培が叶ったのはネパールでした。知人から苗を貰って植えるとみるみる二階のベランダまで蔓が這い上り、沢山の実を家族で楽しむことが出来ました。

さらにザンビアでは、実生苗を見つけてきて植えると地味が良かったのか猛烈な勢いで成育し、呆れるほど美味しい実がたくさん取れました。


そのまま食べるのも良し、ヨーグルトと混ぜて食べるのも良し、マカピー妻がパイに焼くのも良しと果実の収穫できる間中、堪能したのでした。

もっとも、アフリカではパッションフルーツとは言わずに「グラナディラ(granadilla)」でした。

地元の人はフライドチキンにコーラなどの加工品の方が高級だと思っている節があり、あまり野菜や果物を食べないのでした。

ですから、グラナディラも外国人が食べるモノみたいな扱いで特に人気はなかったです。

日本でも時々見かけることがあるのですが、高級果物扱いで売られています。マカピーは自家製のパッションフルーツをお腹いっぱい食べたことがあるので、そこまで支払う価値がないと思っちゃうんですよね。(苦笑)

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。パッションフルーツ・パイが食べたくなった!

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