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父の思い出の地。マカピーな日々#0097

マカピーです。

デビッドという米国人の友達が奥さんと日本に来たんです。

マカピーはネパールで彼と知り合うのですが家族ぐるみの付き合いもしていても、なんだか人付き合い悪いしいつも仕事関係の話ばかりで面白くないなあと思っていたんです。

その彼も退職してタイのバンコクに奥さんと一緒に住んでいて、3年ほど前に日本に来たのです。

事前の連絡メールでは宮城県を訪問したいというのです。

誰か知り合いがいるのか尋ねると、そうではなくて「細倉鉱山」を訪ねたいというのです。

仙台からかなり離れた場所で既に閉山してしまっているような場所に、何故デビッドは行きたいのか理由を聞くと次第にわかってきたことがありました。

デビッドのお父さんはすでに他界していましたが、彼のお姉さんが父の遺品の中から日本での捕虜生活の記録が出てきたのを見せてもらったのがきっかけだったといいます。

彼の父は戦争当時の事を話したがらなかったそうです。デビッド自身も口数が少ない男ですからマカピーも彼に似た父親の風貌を想像しました。

彼の父は海兵隊で中国に出兵し、その後フィリピンのバターン半島での攻防の後日本の捕虜となり、日本軍による捕虜移動のいわゆる「バターン死の行進」を生き残ったのでした。

その後、捕虜は日本内地に移動させられるのですが、移送船が米軍による魚雷攻撃を受けながらも、彼の船は無事で生き残ります。

戦争捕虜は日本各地の人手不足となった鉱山で働かされることになりデビッドの父親も細倉鉱山(鉛、亜鉛鉱山)で働くことになりました。デビッドが入手した父親の資料には収容所の番号があるだけで、配置先の名称等が記されていなかったそうです。(以下Wikipediaからの抜粋)

「戦前の採掘量のピークは、1943年(昭和18年)で、粗鉱産出量は29万トンを越えた。しかしこれは戦時中に進められた増産体制強化の成果でもあり、この頃から鉱山の労働者の中には応召される者が増えて人員不足が目立つようになり、また物資の不足も深刻になりつつあった。1944年(昭和19年)はほぼ1943年と同レベルの生産を維持したが、人員の不足は深刻で、学徒勤労報国隊や朝鮮人、中国人の労務者、そして連合軍の捕虜などの非熟練労働力を導入しなければならない状態に陥った」

デビッドの父親はここでも生き残り、終戦を迎え無事米国へ帰還しました。

マカピーがお世話になった米国アイオワ州での酪農実習先のロバートはドイツ戦線から生還しています。彼と同じ部隊にはスヌーピーの作者チャールズ・シュルツもいたそうです。屋根裏部屋で見かけたのですが、例の旧ドイツ軍のヘルメットがありました。

マカピーの祖父も上海事変から3回も出兵し、終戦をビルマ戦線出迎え帰国を果たしています。

3人とも共通するのは戦友会等を除いて、戦争について多くを語ることはなかったという事です。

周囲の仲間が次々に斃れてゆく中で、自分が生き残るという極限の経験をしたのがベテラーン(退役軍人)たちだったのです。傷病兵として帰還した人もいるし中には精神を病んでしまう人もいました。ヒーロー(英雄)の帰還のはずが、地元に帰ってくれば「なんでお前が生き残り、あいつが死んだんだ?」と責められる人も多かったのです。なんとむごいことでしょう。

マカピーの祖父も引上げが遅れ、シンガポール経由で広島に上陸、その後群馬の実家近くの駅に着いても陽が落ちてからこっそり帰ってきたそうです。それは過去2回の凱旋ではなかったからかもしれません。家族は一体どうしたのかと気をもんで待っていたそうです。

マカピーは群馬の水上町のお寺の境内の隅に忠魂碑があるのに気づきました。そこにはこの地区の戦死者がズラリと並んでいました。苗字が同じ方も多いですが親戚で全く別の戦地で亡くなっているようです。こんなに多くの若者が死ななければならなかった理由は何でしょう?

デビッドはマカピーの情報を頼りに細倉鉱山跡へ行きましたが、資料館は土日しか開館しておらずテーマパーク化した構内に入り半日すごしたそうです。日本を発つ前にまた我が家に寄って報告してくれました。「父がどんな場所で労働したのか、想像することができて良かった」とポソリといいました。

「ところで、こんな風景を見たのだけどなんだろう?」デビッドのスマホには小さな祠の前に沢山の酒瓶が置いてありました。説明書きには「ここで熟成させると、更に美味しい酒になります」とありました。

説明するとデビッドはニヤリと笑いました。

彼がワインを飲むのを知っていたので「こんばんはワインも準備してあるけど、この近所の酒蔵で買ってきた清酒があるんだ。飲む?」と尋ねると「僕はあまり日本酒を飲んだことが無いんだ。どれを飲んでいいかわからないし」

「じゃあ、二種類あるから飲んでみてよ」

「おお、いつかレストランで飲んだのとは全然違うよ。あの時は甘く感じただけだったんで好きじゃなかったけど、これは同じ酒蔵といっていたけど二つとも全く違う美味しさがあるね!そうか清酒って本当にワインそのものだよ!」と上機嫌でいろいろ話を始めました。デビッドて面白い奴じゃん!

・・・・戦争は絶対だめです。

マカピーでした。




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