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「日本人は自然を愛する民族」ですかね?マカピーな日々#0555

マカピーです。

道路にニョッキリと生えている樹がありました。

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歩道の上をさえぎるように横たわる街路樹の太い枝がありました。

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多くの木は毎年,年輪を作りながら大きくなる宿命があります。(一部単子葉植物は違いますけど)

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ですから針金を幹に巻き付けて置いたままにすると数年で、その針金が幹にめり込んでいったり、根張りが歩道のアスファルトや敷石を持ち上げてしまうことになります。

以前の投稿にもありましたように、マカピーは大きな樹が大好きです。

それを観るのも好きですが、やはりどうにか近くに行って幹に触れたいと思います。そしてそこから樹上を見上げるときの気持ちが何とも言えません。

周囲の木々と相談するようにしている枝張りの様子を見るのも楽しいです。生存競争と植物学者は言いますが、それだけではない植物同士のコミュニケーションが樹上でも地下の根張りの中でも行われているように思うのです。

でなければ、樹上の枝張りの様子を見ると、隣の木に触れそうになる枝を枯らして遠慮しているように見えるのです。そうやって主張ばかりしていないのだと思えるのでした。

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このジャカランダの枝ぶりを見てください!二本の木の間に見事な境界が見えませんか?

もちろんこのジャカランダは街路樹として植樹されたものですから実生(種子から発芽し移植していない植物)で育ったものではありません。

それでもこんな風に「お互いの領域」を決めています。

もっとも、強風が吹いた際にお互いに触れあうところで、こうした境界線が生まれるという理解もありますけど(笑)

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海外、特に英国系の影響を受けた国では古い施設や大樹をとても大切に扱う文化があります。

そうした文化の中で育つと、人々はそれで、少しくらいの不便は何とも思わないし、むしろそれを誇りにしています。

映画「フォレスト・ガンプ」のJennyとの思い出にあるGreen Bow houseにある樹みたいに!

「落ち葉や枝に困っている」「交通の障害だ」「歩行者の目障り」「電線に触れる」様々な苦情が持ち込まれます。

日本では街路樹は毎年、厳しく刈り込まれ異様な樹形をしている木々が多いです。

そうじゃなくて、本来は電線を地下にして大きな木陰をつくる街路樹を大切にすべきだろうと思います。

マカピーは、日本人はずいぶん野蛮な人種になったものだと思うのですが、日本文化を紹介するときに「日本人は自然を愛し、その調和の中で長い歴史を刻んできました・・・」的な説明があります。

それって、本当かな?

声の大きい人の意見で、毎年小さな公園の桜の古木が切り倒されてしまったときに、沢山の人がそれを悲しむ声を上げさらにの事がニュースになります。

そして、次の春に「???」なんか変だなあって思う人がいても、見事な桜の開花に喜んだことさえ忘れてしまっているのでした。

そうして、全国どこの駅前も同じような風景に再開発されてしまいました。

まるで没個性化こそが、本当の「日本文化」なのだと言わんばかりに!

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マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。古いものを大切にするのは、心が豊かってこと



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