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マカピーな日々  #0028

マカピーです。

マカピーの帯状疱疹の投薬期間が終り鎮痛効果が切れると肋間に痛みが戻ってきました。ヤレヤレ。早速内科医受診、あと1週間追加してもらいましたが抗ウイルス剤は必要ないという事でした。これで感知する事を祈っています。

さて、マカピーのヨルダン滞在での経験からいろいろ他の国での事柄などに思いを馳せています。話題があちこちに飛ぶので今回からタイトルからヨルダン紀行は消しておきますね。

これまでの号ではヨルダンて周辺国から難民を受け入れる国と書きました。マカピーはヨルダンの存在感はまさしくそこにあると思っています。人口が10年間で2倍になるような難民政策を支えてきたのは外国からの援助です。その資金がこの国を発展?させてきたと思います。

古くはパレスチナ難民、イラクの難民、そしてシリア難民が大きいようです。パレスチナ難民の人たちを受け入れたバッカという地区はアンマンから30分ほどにある農業が盛んな盆地です。

初めて車でバッカ付近を通りながら「どこがキャンプなんですか?」とスタッフに尋ねると「この右側がそうです」「これって大きな町ですよね?」「ええ、これがバッカキャンプなんです」「テントがあるかと思ったのですが」「もう50年経つので普通の街並みと同じです」「でもキャンプなんですよね」「ここに住んでいる人たちはヨルダンの国籍も取得してます」「そうなんですか!」

別の比較的新しいシリア難民キャンプがある場所を車で通過しました。広大な土漠地帯に整然と並ぶテント群、周辺にはソーラーパネルでの発電装置もありました。入口の検問もあるようですが出入りは自由でここから町に働きに出ている人もいると聞きました。

こうしたキャンプを運営するには莫大な資金が必要です。小国ヨルダンがそれを負担する事は不可能ですから国連、EU、米国、アラブ連合そして日本などから資金援助を受けているのですね。

石油資源を巡る紛争、独裁国が多い中東ならではの紛争、イスラエルとアラブの紛争・・・。紛争の激化でとても住めなくなった人々は難民として国外脱出します。早く本国に帰りたいと望みながらも、紛争の長期化でその願いが果たせずにキャンプ地で亡くなってしまう方も多いです。冬は雪が降り夏は猛烈な暑さをあのテントで幾年も過ごすことを想像するだけでも大変さが伝わってきます。

日本は島国であるがゆえに、海を越えての難民が流入する事が少なかった経緯があります。また今でも難民受け入れの条件が厳しい国としても有名です。一方ヨルダンで受け入れている近隣国の難民の人々は基本的にアラブ語を話しますから言葉の壁が低いですし、共通のムスリム文化も持っているので「同胞」意識が高いものと思われます。

マカピーもいろいろな国を訪れていますが、ヨルダン程難民を受け入れている国を知りません。ペトラやワディラムなど映画の撮影地として有名な土地柄ですが、寛容というか緩衝国(バッファー・ステイト)の微妙なバランスにできた不思議な国がヨルダンのもう一つの姿です。

マカピーは観光地だけでなくそこの人々の生きる姿を通してその国を知る事がその国を愛するきっかけになると思います。

では次回をお楽しみに。マカピーでした。


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